人間が生きる意味は、「どうせ」の先にある。

20歳の頃の自分は、酷かった。何が酷いかといえば、人間性が。生き方が。精神が。

 

生きていても何も楽しくなかった。常に不安で、現状に対する不満で満ちていて、何に対しても臆病。とにかく、抑うつ的な状態に陥っていた。マイナスの男。最悪でしかない。

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冒頭から恥ずかしげもなく、自分可哀そう的な自分語りで始めてしまったことにお詫びを申し上げたい。

 

ふと、生きるモチベについて考えてしまう事がある。過去の自分を振り返ったときに20歳の頃の自分は特にヤバかったなと。

 

人間の一生には浮き沈みがある。当然、万事が順風満帆というわけではない。

調子が良い時もあれば、どん底の更に下、マントルにまで堕ちる事もある。

禍福は糾える縄の如し。人間万事塞翁が馬。世は諸行無常なのだ。

 

2年経った今、あの頃の自分がなぜそのような精神状態にあったかは分からない。

生まれ持った性質なのかもしれないし、後天的な生育環境によるものなのかもしれない。死にたい。という破滅を願う思想ではなく、生きたくない。という消極的な気持ちがあった。

 

とにかく何をするにもビビりで、バイト先でも、自分の思ったことを主張できず、嫌われないようにヘコヘコしながら、誠意をアピールする。

自分に自信がないから、過度に自分のスペックをアピールしようと、高い服を買ってみたり、クールキャラ気取って見たり、痛痛の痛である。

 

なぜだか私は闇の中にいた。

 

就活を経て、自己分析をして自分の良さや短所が自分なりに分かってきた事。就活を通じて自分の限界が見えてきた事。コロナ禍で、自分と向き合う時間が作れた事。

 

様々な要因と、長い時間が、いつのまにか自分を闇の外に導いていた。

 

結局、今もこうしてヘラヘラと生きている。生きている意味は分からない。

生きるモチベも分からない。それでもただなんとなく生きているし、生かされている。

 

私は、大学のゼミで「生きる意義」についてニーチェという哲学者を参考にしながら研究をしている。「生きる意義」という答えが初めから存在しない、不毛ともいえるテーマに悪戦苦闘しながら向き合っている。ただの変人である。

 

〇合理的思考の限界

私が思うに、生きる意義を合理的な観点から探ろうとしても難しい。

なぜならつまるところ、人間の生死に合理的な意味はないから。

生物は、生殖本能を持つ。人間とて同じ。

子孫繁栄の本能の末に産み落とされたに過ぎない。そして新たに生まれた人間は、また新しい子孫を残すために生きる。我々はその途方もない連鎖の果てにある。

 

それだと、あまりにも身も蓋もないので、宗教や哲学が人間の「生き死に」に意味を与えている。人間はそれを信じる事で、自分の生を支えてきた。

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しかし宗教が説く人間の生きる意義にせよ、全てが合理的な訳でもないし、納得のいくものとは限らない。

それでも尚、宗教を信じる事で人は救われてきたわけではあるし否定するつもりは全くないが・・・。

 

〇生きていく為のガソリンなんて、なんでもいい

自分を動かすガソリンを補給する事が、何より大事。ガソリンの中身なんて、何でも良いんです。あなたという乗り物が動けばそれでいい。俗っぽい欲望でも良いし、ゲスい欲望でも良いし、社会的大義でも良いし、邪でも、非現実的な事でもOK。

 

つまり、何かしらの欲望がある限り、それが自分にとっての生きる意義たり得るという事。「なんの為に生きているか分からない・・・。」という状態は至って普通。なぜなら既に述べた通り、人間が生きる意義など説明がつかないから。

 

人生をただただなんとなく生きていると、自分が持っていた本来的な欲求を忘れてしまう。世の中に存在する常識や義務、規範に流されて、この世を漂うだけのクラゲと化してしまう。世の常識という波に左右されるだけの存在。そのように生きるのはやはり悲しい。

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やりたい事を思い浮かべ、それを実現する為に自分を突き動かす。

やりたい事といっても、崇高な目標でなくていい。美人と付き合いたいとか、金持ちになりたいとか、高級車を乗り回したいとかでもいい。

 

欲求を満たすために生きる。至って単純だ。

 

〇思考をこねくりまわした末に辿り着く、出口のないラビリンス

いやいや単純すぎだろ、とのお叱りを受けるかもしれない。「やりたい事をするために行動して生きろ」なんてマッチョイズムな考えはウンザリだ、と。

 

まあ、ただ一見アホっぽく見える「快楽主義的」な生き方って、単純であるが故に効果もそこそこあるとは思う。

 

哲学とか宗教においては、「欲望といかにして向き合うか?」というテーマは古代ギリシャの時代から論じられてきた。

 

例えば、古代ギリシャ思想である「ストア派」では、「理性によって感情に打ち勝とう」と説かれている。感情が欲する財産や地位ではなく、理性によって自己鍛錬に努めよと。ストア派の思想を打ち立てたゼノンは、「人間の欲望や感情に縛られて生きる事は不自然である。」と提唱した。

 

※西洋哲学や仏教、その他哲学者の思想を引き合いに出すとキリがないので、本記事では割愛させていただく。

 

「生きる意義」とは、考えたり調べたりするほど、何がなんだか分からなくなる。古今東西あらゆる思想が存在する。もちろんそれを学び続ける事に意味があるし、人生は勉強の連続でもある。

 

先人たちの偉大な思想の足元にも及ばない、くだらない主張であるが、それでもやはり自己の欲望からは逃れられないと思う。

 

いやまぁ、ショーペンハウアーも「欲望は海水のようなもの。飲めば飲むほど、のどが渇く。」的な事を言っているが欲望を満たそうとしなくても、結局は、のどは渇いたままなのである。

 

欲望を抑えたまま、ウズウズと生きていも、苦しい。

欲望を叶えても、次から次へと新たな欲望は湧く。終わりはない。それもそれで苦しい。

 

生の本質は「苦」であるため、どちらにせよ仕方のない事。

 

〇全てはノソノソと動き出すから

私の悩みの一つは、「やりたい事がない。」だった。

解像度を高く述べると、「ありあまるエネルギーがくすぶっているものの、どこにぶつけたらいいか分からない。」「このエネルギーを昇華させて、何らかの実績を上げ有名になりたい。」というもの。

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臆病で不安がちだったくせに、燃料自体はあったんです。逆説的に言えば、燃料が積んであるのに、目的地が決まっておらず、いつまでもスタート地点から出られないような状況だった。

 

しかし、とはいうものの実はやりたい事は既にその頃(2年前)からあった。

それは、「文章を書く事。」である。ブログやnote、Twitterで文章を書くことは昔から好きだった。誰に言われるわけでもなく、自然とやっていた。

 

今と昔で何が違うかといえば、「どうせ病」にかかっていたということ。

 

どうせ誰も読まない。どうせ才能がない。どうせ埋もれる。どうせ、どうせ、どうせうわああああああ。

 

今の場合、少なくとも「どうせ病」は完治しつつある。文章を書くことについては、

どうせ読まれない、それでもやる、いや、やりたい。と思う。

 

そして、たくさんの人に読んでいただく事を目指す。

売れているライターの文章術や発想、語彙などを学ぶ。知識を蓄える。本を読む。読まれる文章とは何かについて考える。Twitterのフォロワーを増やす。

 

どうせ、の先にやるべき事はある。

 

〇夢中で生きるということがあなたを救う

仏教には、無常という思想がある。この世の一切のものは、常に生まれては消え、恒常的に不変のものは存在しないということを意味する。

 

万物は過ぎ去り変化する。現状に固執しすぎることなく、常に人生を謳歌する事が重要だ。

「無我夢中」という四字熟語がある。

無我とは、元々仏教の言葉で、「常恒不変なものは存在しない。」という事を意味する。固定された自己の姿がないが故に、特定の思想に執着する事もない。

「無我夢中」となって、物事に没頭する事は、「生きる意義について悩んでいる」状態をも脱している。

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無我夢中に至る方法として有効なのが、「欲望をごまかさずに生きる。」という事だと思う。

 

〇生きる意義とは、田中み〇実である

さて、話をまとめに入ろう。生きる意義とは、「あなたの欲望」です。あなたの欲望こそが、あなたを突き動かす原動力たり得る。ゲスであろうが何だろうが関係ない。

私の場合も、いくつもの燃料を持っている。

カッコいい車に乗りたいし、世界一周したいし、良いスーツ着たいし、デカい家に住みたい。なんか色々欲しいじゃないですか。かっこいいモノ欲しいし、知らない場所行ってみたいし、デカい家で広々と暮らしたい。

 

あと美人とも付き合いたい。田中み〇実アナとか好き。

 

恥ずかしいぐらいに俗ですが、そんなのでいいんです。欲が苦を生むことは重々承知。

でも、そもそも生きる事自体が「苦」である。

 

ジタバタともがきながらも、生きる事そのものから生じる「苦」を忘れるくらい、何かに没頭し続ける事。

 

人生を最大限謳歌する為には、このような姿勢が必要であると私は感じる。

ノソノソと動きながら、やりたい事に向かっていく気持ちを持とう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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