【政治の疑問 vol.1】大統領と首相の違い 分かりやすくまとめてみた

大統領と首相は似て非なるもの。ではその違いとは何か?

今回の記事では、大統領、首相それぞれについて分かりやすくまとめてみようと思う。

 

1.大統領

「大統領」とひとくちにいっても、国によってその役割は異なる。

まず定義から。大統領は、共和制の国、即ち王制ではない国における国家元首

つまり簡単に言えば、国で一番偉い人の事を指す。

 

大統領は、国民の直接選挙によって選出される。

加えて、大統領の権限は首相と比べて強い。それは国民から直接的に選ばれているという点一つの要因である。当然、権力が暴走しないよう、議会による制限もあるが。

 

2.首相

首相は、行政機関におけるトップの人間。即ち政治に関する執務を行う機関でのリーダー。大統領とは違い、国のトップではない。

 

例えば日本の場合は天皇が国のトップに該当し、政治のトップが総理大臣という事になる。同じ例として、イギリスにも国王が存在する為、形式的な国のトップは国王で行政面においては首相ということになる。

 

首相は、議会選挙によって選出される。

そして、その議会を構成する議員は国民によって選ばれる。

 

3.大統領と首相が両方存在する国

では、大統領と首相が両方存在する国における政治体制はどのようになっているのだろうか。いくつか取り上げてみる。

 

ドイツ

首相が行政におけるリーダー。対して、大統領は象徴のようなもので、儀礼的な存在。

連邦会議によって選出される。

 

イタリア

同様に、象徴的存在に近い。が、非常時におけるいくつかの権限を持つ。

 

フランス

大統領の権限が強い。大統領は主に外交を行い、首相は大統領の方針に従い、国内における行政執務を担当する。

 

ロシア

言わずと知れた、大統領の権限が強い国。政治・軍事・外交など広範に渡り権力を持つ。

また、ロシアにおいては議会の同意を得て、大統領が首相を任命する。

 

韓国

同様に、大統領が議会の同意を得て首相を任命。

大統領は外交や条約締結における権限を持ち、首相は大統領の補佐的立ち位置。

 

以上がごく簡単な、大統領と首相の違いである。次回はそれぞれ政治や国家体制について解説しようと思う。

私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたら嬉しい。

 

 

 

 

【国際政治 中東vol.5】中東戦争を分かりやすくまとめてみた 後編

中東における政治情勢を理解する上で、重要となるファクターの一つ。

パレスチナ問題」

今回の記事では、中東情勢とパレスチナについて理解するために「中東戦争」について分かりやすくまとめてみようと思う。

 

 

1.第三次中東戦争

第一次、第二次中東戦争については以前の記事にまとめた通りである。

mizuki19980513.hatenablog.com

 

第二次中東戦争終結して以降、イスラエル側とアラブ諸国側、即ちユダヤ人とパレスチナ人やアラブ人との関係は比較的穏やかであった。

しかし1964年のPLOの発足を契機として、両者の間に再び緊張が走る。

 

PLOとはイスラエルが占領している、パレスチナに住むアラブ人の解放を目的として発足された武装集団である。ゲリラ的な襲撃がイスラエルに向けて行われるようになる。

 

またPLO発足から約二年後、シリアで新しい政権が誕生しPLOを支持。そしてイスラヘルへの攻撃を始める。

エジプトもその後、イスラエルと対決する姿勢を示す。

 

イスラエルが先制攻撃を仕掛け、戦争が開始された。イスラエルは軍事力で圧倒し、この戦争はわずか6日間で終了する。

戦後、イスラエルはエジプト領、ヨルダン領、シリア領のそれぞれ一部を占領し、領土を二倍に拡大させた。

 

この戦争を機に、更に多くのパレスチナ人が難民となり周辺国への移住を余儀なくされた。

 

裏で暗躍するソ連

時は冷戦真っただ中。ソ連は中東においてアメリカより優位な立場に立ちたかった為、中東で戦争を起こそうと画策した。そこでソ連のスパイ組織KGBは各国にウソの情報を流した。

 

→エジプト

イスラエルとシリアが戦争間近だという情報を流す。

 

→シリア

イスラエルがシリアへ攻撃しようとしているという情報を流す。

 

2.第四次中東戦争

1973年勃発。エジプト・シリアVSイスラエルによる戦争。

第三次中東戦争によって失った領土を奪還するべく、エジプトとシリアがイスラエルへ奇襲を仕掛ける。

 

イスラエルは前回の戦争で圧勝したこともあり、アラブ諸国に対する驕りがあった。

油断した結果、当初はアラブ諸国に圧倒される。

イスラエルが部隊を再編成して反撃に出ると、イスラエルが次第に勝ち始める。

その後、アメリカとソ連により、国連を通じて停戦が決議された。

 

また、この時かの有名なオイルショックが起きた。

アラブ諸国が、イスラエルと親しくする国には石油の輸出を停止する事にして、戦争を有利に進めようとした。

 

第四次中東戦争後、アメリカを仲介し、エジプトとイスラエルにおいて平和条約が結ばれた。

エジプトは度重なる戦争で、財政が厳しい状況にあった。そこでアメリカから経済援助をしてもらうために、イスラエルとの融和を図った。(イスラエルアメリカは友好国)

 

これが現在まで続く中東混乱の大まかな原因である。

 

次回は、また別の角度から中東情勢について解説しようと思う。

私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたら嬉しい。

それでは。

 

 

 

 

 

 

【国際政治 中東vol.4】中東戦争を分かりやすくまとめてみた 前編

中東における政治情勢を理解する上で、重要となるファクターの一つ。

パレスチナ問題」

今回の記事では、中東情勢とパレスチナについて理解するために「中東戦争」について分かりやすくまとめてみようと思う。

 

1.第一次中東戦争

第一次中東戦争が起きた原因は以前の記事にまとめた通り。

mizuki19980513.hatenablog.com

パレスチナ人(アラブ人)とユダヤ人による紛争。

両者の間において計4回、戦争が勃発した。

 

第一次中東戦争は、1948年から1949年、一年間に渡り繰り広げられた。

 

アラブ人側には、即ちアラブ連盟加盟国である、シリア・レバノン・ヨルダン・イラク・エジプトが加勢。

対してユダヤ陣営はイスラエルのみ。しかし裏にはアメリカやイギリスの支援があぅた。

mizuki19980513.hatenablog.com

 

第一次中東戦争の結果は、イスラエルの勝利に終わる。

イスラエルは、国連が提示した土地よりも広い領土を占領する。

 

この戦争で、パレスチナ難民が多く生まれ、混乱の原因となった。

 

2.第二次中東戦争

イスラエル(イギリス・フランス)VSエジプトの戦争。

 

エジプト

エジプトはナイル川周辺にダムを建設しようとしていた。が、革命が起きてしまい、いったんストップ。

その後再び建設計画が再開。ダム建設資金をアメリカから支援してもらう予定だったが、東側陣営、即ちアメリカと敵対する国家と武器の取引を行っていた事が原因でアメリカから援助を断られる。

「どうしよ、金欲しいのに・・・。せや!スエズ運河は色々な国が使いたい場所だし国有化したろ!」というわけでエジプトはスエズ運河を国有化しようとする。

それに対して、イギリスくんブチ切れ。

 

イギリス

イギリスはスエズ運河において大きな権益を得ていた。

他国との貿易において重要な航路の一つであり、ここが自由に使えなくなると経済的に重大な損失を被ることになる。となると黙っていられない、というわけだ。

 

フランス

それではなぜ、フランスはこの戦争に加担したのだろうか?

フランスは、自国の植民地であったアルジェリアの内乱を収める為、裏で支援していたエジプトの大統領を倒すべく戦争に参加する事を決める。

 

イスラエル

イスラエルは、既に述べたようにアラブ諸国と対立を深めていた。また、更なる領土拡大を狙っていたため、エジプトとも対立していた。

 

従って、イギリス・フランス・イスラエル三国の利害が一致し、この戦争が始まることになる。イスラエルが攻撃を仕掛け、英仏がそれを支援する体制をとるというものであった。

 

アメリカ、ソ連による戦争停止

戦争はイスラエル側が優位であったが、アメリカとソ連が三国を厳しく非難。

国連を通じて、戦争の撤退を命じた。

 

アメリカ→ハンガリーで起きた、ソ連からの内政干渉に反発するデモ。それを軍事的に封じ込めたソ連。(ハンガリー動乱
アメリカは、この出来事を、世界にアピールしたかったと言われている。しかし、この戦争が起きている限り、世界の関心はそこに向けられてしまう。

 

ソ連→エジプトは中東における同盟国であった。従って、劣勢であったエジプトが敗北する事を危惧し、戦争停止を呼びかけた。

 

いわばこの戦争は、利権争いと冷戦下におけるパワーゲームであった。

 

イギリスとフランスはこの戦争を機に、国際社会におけるプレゼンスが低下した。

ことイギリスに関しては19世紀において世界1とも言えるほど大きな国力を誇っていた。しかし、二度の世界大戦を経て、アメリカが世界1の座に君臨する事となり、それを象徴するかのような一つの出来事でもあった。

 

エジプトはスエズ運河の国有化に成功。国際社会からも支持され、英仏と戦い抜いたことからアラブ諸国から賞賛を浴びた。傷は負ったものの、得たものも多かった。

 

イスラエルは戦争停止を余儀なくされるものの、アラブ諸国に対する軍事力の優位性を確信。領土拡大の機会を諦める事はなかった。

 

次回の記事では、第三・第四次中東戦争についてまとめてみようと思う。

私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたら嬉しい。

それでは。

 

 

 

 

 

【国際政治 中東vol.3】パレスチナ問題とは?分かりやすくまとめてみた前編

中東における政治情勢を理解する上で、重要となるファクターの一つ。「パレスチナ問題」

今回の記事では、パレスチナという地域について簡単にまとめてみようと思う。

 

1.パレスチナとは

パレスチナは元来、多種多様な国・地域から人が集まり交流する地域であった。

アフリカ大陸とユーラシア大陸を結ぶ場所であり、盛んに商売や貿易が行われていた。

 

世界三大宗教である、ユダヤ教キリスト教イスラム教はこの地で誕生し聖地もここに存在する。

16世紀以降、オスマン帝国パレスチナを統治していた。従ってアラブ人がここに住んでいた。

しかし、そもそも紀元前においてはユダヤが住んでいた。ユダヤ人は度重なる戦争の末、他民族に取って代わられてしまい支配されてしまう。

その後はユダヤ人は定住の国を持たず世界に散り散りになり生きていく事を余儀なくされる。そしていつしかこの地「パレスチナ」に帰る事を誓った。

 

2.鬼畜イギリスくん

年月を経て、ロシアやポーランドから徐々にパレスチナに住み始めるようになる。

アラブ人とも共存していたが、ユダヤ人が増加するにつれて経済的格差が原因で次第に対立感情が芽生えるようになる。(ユダヤ人はビジネスで成功を収めている人が多い。)一方で、ユダヤ人は次々と土地を買い占める。更に、両民族における対立感情が激化していく。

 

また第一次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治下となる。

1922年以降、ユダヤ人はパレスチナに移住を始める。

以前の記事で開設したように、イギリスがユダヤ人の為の国家建設を約束したからだ。

【国際政治 中東vol.1】中東の情勢はなぜ不安定なのか、分かりやすくまとめてみた - 簡単にアレコレまとめるブログ

 

アラブ人、ユダヤ人双方にとってそれぞれ良い条件をイギリスから聞かされていた。

独立がしたかったアラブ人。自分たちの国家が欲しかったユダヤ人。

 

しかしその実態は、「お前ら仲良くそこで共存して暮らせや」という事であった。

イギリスは第一次世界大戦をとにかく有利に進めたかっただけで彼らの為に行ったわけではないからである。うーんこの。

 

3.第二次世界大戦

第二次世界大戦後、イスラエルという国家が建設され、ついにユダヤ人の国家が建設される。

しかしやはり、アラブ人にとっては面白くない。

アメリカは、パレスチナユダヤ人居住区とパレスチナ人(アラブ)居住地区それぞれに分割するように提案した。ユダヤ人側はそれを承認したものの、アラブ人側は認めなかった。

そしてこれが原因で、両者の間に戦争が起きる。

これが第一次中東戦争である。

 

次回の記事では、第一次~第四次に至る中東戦争についてまとめてみようと思う。

私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたら嬉しい。

それでは。

 

 

 

 

【国際政治 中東vol.2】アメリカとイスラエルの関係を分かりやすくまとめてみた

中東における政治情勢を理解する為には、イスラエルという国、そしてアメリカとの関係を知っておく必要がある。

今回の記事では、アメリカとイスラエルの関係性について簡単にまとめてみようと思う。

 

 

 1.アメリカにおけるユダヤ人という存在

ユダヤ人はアメリカかイスラエルにその多数が住んでいる。

アメリカのユダヤ人は、政治的・経済的面において社会で大きな影響力を持つ。(スピルバーグやラリーペイジなどなど)

イスラエル・ロビーと呼ばれる政治組織がアメリカには存在する。ユダヤ人とイスラエルの利益を守る為に広報活動などを行っている団体だ。

 

アメリカ国内でユダヤ人は大きな影響力を持つが故に、政治家たちも彼らの存在を無視する事は出来ない。従って、必然的に中東における外交政策イスラエルに有利なものになるということだ。ユダヤ系の資金を得る為でもある。

また、ユダヤ系はメディアの有力者も多く世論形成に大きな影響力を持っておりやはり、彼らを取り込むことは半ば避けて通れない。

 

2.中東における政治的・戦略的重要性

アメリカが中東に介入する上で重要な軍事拠点となっているのが、イスラエルである。

また、イスラエルにおける諜報機関を通してアメリカは中東における情報を得ている。

中東における石油資源の確保、産油国支配の為にもパイプは持っておきたい。

従って、イスラエルは友好国・同盟国でもあり、アメリカにとっては重要な拠点の一つなのである。

また、アメリカが撤退した場合パワーバランスが崩れ、イスラエルとその他アラブ諸国の間で戦争が起こる可能性も大いにある。ロシアの南下も懸念材料の一つ。

逆に言えばイスラエルアメリカという盾がある事で、中東における唯一のユダヤ人国家であり続ける事が可能であるのだ。周囲に、敵対するアラブ国家がいくつも存在する中で存続し続ける為にはアメリカとの関係は切っても切り離せない。

つまり、両国の利害関係が一致している事が関係を深めている要因の一つであるという事だ。

 

本日はここまで。

私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたら嬉しい。

それでは。

 

 

【国際政治 中東vol.1】中東の情勢はなぜ不安定なのか、分かりやすくまとめてみた

中東と言えば、情勢が不安定なイメージを抱いている人が多いのではないだろうか。

まず、前提として現在の中東においては危険な場所もあればそうでない場所も当然あるという事を分かっておいてほしい。

今回の記事では、イギリスの三枚舌外交に焦点を当てて簡単にまとめていこうと思う。

 

 

 1.中東とは

まずその言葉の定義から。中東は西アジアから北アフリカにかけての国々を示す。

ちなみに中東という言葉は、イギリス視点によるものである。

そもそもの話、このエリアには多種多様な民族が存在し、宗派も異なる。価値観や文化が異なる為、当然対立が生じてしまう。

また、石油が豊富に採掘される地域であるため、アメリカやロシアなどの大国が介入し更に複雑なものとなる。

 

中東情勢が複雑かつ、理解しづらいのは、様々な要因が絡み合っているからである。

まずは、イギリスの「三枚舌外交」について。

 

2.第一次世界大戦時におけるイギリスの三枚舌外交

フサイン=マクマホン協定

イギリスがアラブ人と結んだ協定。第一次世界大戦が終わった後、アラブ人にオスマン帝国からの独立を支援すると約束した。その代わりに、「アラブ人。オスマン帝国で反乱を起こしてくれ。」と。

 

イギリスはオスマン帝国と敵対していた為、戦争を有利に進める為アラブ人とこのような協定を交わした。

 

 

が、同時にイギリスは、フランスとアラブ地域を支配する事を秘密裏に約束。

それが、サイクスピコ協定である。

 

サイクス・ピコ協定

第一次世界大戦時、中東地域は「オスマン帝国」という大国であった。

 

第一次世界大戦後、イギリス・フランス・ロシアで中東地域を分割する事を秘密裏に協定として結ぶ。(ロシアはロシア革命により事実上離脱)

当時は、大国が争って植民地を獲得する事に躍起になっていた時代。

イギリスとフランスは地図にペンで線を引き、支配地域を決めた。

よって、それぞれ別の民族や宗派の集団が、強引にそれぞれ「国」としてまとめられてしまったのである。イギリスは中東支配における優位性を確保する為、戦争に何としてでも勝ちたかったという事情もある。

 

バルフォア宣言

戦争が長引き、財政が次第に厳しくなっていくイギリス。

そこでイギリスは、ユダヤ人に目をつける。ユダヤ人には多くの資産家が存在する為、ユダヤ人から財政支援を引き出すことを目論んで、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設に賛同。

 

元々パレスチナは、ユダヤ人の故郷でありそこに国家を建設したいというのが長年の彼らにとっての悲願であった。

従ってユダヤ人に都合の良い態度を示し、彼らからの支援を引き出そうとした。

 

ユダヤ人は定住の地を持たず常に迫害されてきた。よって定住の地を持たなかったが、バルフォア宣言を機に、世界各地に散らばっていたユダヤ人がパレスチナへ移住してくるようになった。

しかし。パレスチナの地には既にイスラム教徒であるアラブ人が住んでいた。

で、アラブ人は追い出される。
両者に対立が生じたわけだがアラブ人はもともと住んでいた土地だし、ユダヤ人は国家建設が出来ると思って来ているわけで、両者の都合がぶつかりあう構図が生じてしまった。

 

3.三枚舌外交がもたらした混乱

イスラム世界においては、主な火種が2つ存在する。

一つはイランとイラクの関係。

そしてもう一つが、イスラエル建国によるアラブとイスラエルユダヤ人)の対立である。それを生んだのはここまで解説してきたイギリスの三枚舌外交。

 

1948年のパレスチナ戦争から第四次まで中東戦争が続き今なお対立が続いている。

 

次回はイラン・イラクの対立など別の角度から中東情勢を見ていこうと思う。

私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたら嬉しい。

それでは。

 

 

 

【首脳名鑑No.01】ドナルド・トランプ当選の背景をごく簡単にまとめてみた

第45代アメリカ合衆国大統領を務めるドナルド・トランプ

2016年の大統領選では、大勢の予想を覆し見事当選。

 

政治に関心がない人であっても、「とりあえずなんかヤバい」という認識を抱いているであろうこのお方。

 

本記事にて、彼のビジネスマンとしての姿、政治家としての姿を簡単に示していこうと思う。興味が湧いた読者の方は、より詳しい本を読むことをおススメする。

 

当選の背景

そもそもなぜ彼は、2016年のアメリカ大統領選に勝てたのか?

 

1.アメリカ内の格差

日本に生まれ、生活していると気づく事はまずないが、そもそもこの世は弱肉強食。多くの国においてその図式が当てはまる。

 

アメリカはその象徴であろう。世界トップクラスのお金持ちが、バカでかい家を建てて金をアホほど使いまくっている傍らで、お金がない人はスラム街で身を寄せ合って暮らしている。

アメリカは、基本的に自分の事は自分でどうにかする精神の国である。

 

当然の事ながら、貧乏な人は自分の生活に不満を持っていないし、個人レベルでどうにかなるものでないケースも多々存在するので、政府に期待するしかなくなる。

 

またそんな状況に追い打ちをかけるかのように、大量に外国から、仕事を求め移民が押し寄せた。アメリカは移民大国であるが、安い労働力(中国人やメキシコ人)が同じ仕事をするようになり、アメリカ人は仕事を失った。

俺たちの国の、俺たちの仕事が外国人に取られてんじゃん!、と。その心理を代弁したのがトランプであった。

だからこその、「メキシコとの国境に壁を作る!」宣言であり、"America First"なのである。

 

2.自己資金による説得力

トランプは元々ビジネスマン。"不動産王"としてその名を馳せていた。

だから自己資金で、選挙を行っていると公言していた。

これは何を意味するか?

それはスポンサーの忖度がない、ということである。

 

アメリカの選挙はとにかくお金がかかる。(日本もそうだが)

アメリカは広いから、飛行機で各地を回って演説しないといけないし、広告を打って知名度を稼ぐ必要がある。繰り返しになるが、国土が広く、州1つ州1つが小さな国のようなアメリカでは、知名度を上げる事は容易ではなく、多額の資金が必要となる。

だから選挙の候補者は富裕層から、選挙資金を寄付してもらう。

となると、必然的に富裕層に有利な政策を取らざるを得ない。

政治の歪な点の一つである。

 

トランプは、自分のお金でやっているから、富裕層にわざわざアピールする必要がなく中流低所得者への訴求が可能だった。

だからこそ、先ほどの1に戻るが、現状の政治に不満を抱えているアメリカ人の心理を代弁する事が出来た。

 

3.トランプの支持層

今までの流れで、トランプの支持層が少しずつ見えてきたかもしれない。

トランプの支持層は、高卒層が多くブルーカラーに従事している労働者が多い。

ブルーカラーとはつまり、肉体労働であり単純労働でもあるから、先ほど述べたように移民に取って代わられやすい。同じ労働力ならより、給料の安い中国人やメキシコ人の方がもちろん雇う側にとって都合が良い。(※私は職業に貴賎なしのスタンスです。)

 

アメリカには地域ごとによって、人々の傾向が分かれる。

一般的に、南部には概して保守的な人が多い。よって共和党支持者が多かった。しかし、共和党は大企業に有利な政策を推進した結果、グローバル化がどんどん進んだ。

南部の共和党支持者は当然気分が良くない。保守派の政党であるはずなのにやっている事は自分たちの為の政治ではないではないかと。

 

4.光が当たらなかったアメリカ人たち

一方で、現在に至るリベラル思考。男性の支配ではなく、これからは女性の時代である!LGBTの尊重を!

所謂、かつて社会的弱者であった人たちにスポットライトが当たった事で、中間層の白人男性の窮状は可視化されづらくなった。アメリカでは、forgotten people(忘れ去られた人々)と呼ばれることがある。

アメリカには、アファーマティブアクションという制度が存在する。国内の社会的不平等を是正する為、黒人や女性などが入試等で優遇される制度の事。

リベラル真っ盛りの時代に言い知れぬ違和感を抱きつつ暮らしていた層。これがトランプ支持層である。

今までの政治家は誰も俺たちの声を聞いてくれなかった!でもトランプはそんな俺たちの声を代弁してくれたんだ!と。

 

グローバル化、多様性の時代。そこから生じた歪みと副産物。

それがドナルドトランプだったのではないか?と私は個人的に思う。

また次の記事で、簡単に彼についてまとめてみようと思う。

私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたらうれしい。それでは。