Mizuki Blog

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21卒の就活を終えて~我らはコロナ世代~

私は21卒の就活生である。いわゆる「コロナ世代」である。

就職活動は、大学四年の10月に終えた。

普通に考えれば、かなり遅い方である。自分もまさかここまで時間がかかるとは思っていなかった。就活を始めた3年の夏は未来への希望に満ちていたというのに・・・。

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3月1日に就職活動が「解禁」され、一気にロケットスタートを切るのがここ数年の通例。

まぁ、解禁とは建前で、3月より前に内定を出している会社だってたくさんあるのだが。

 

※就活が本格的に解禁される3月より前に内定を保持している就活生はTwitterでマウントを取りがち。(当社調べ)

 

私の肌感としては、内定を得る時期には、いくつかの波がある。

 

⓪3年の秋~冬 外資系に入るエリート組やベンチャー

①就活解禁直後~GWまで

②GW明け~

③6月1日~(大企業の面接スタート)

④夏休み前までのラッシュ

 

まぁ、かなりざっくりだがこんな感じのフェーズだろう。

 

本記事では、コロナ就活体験記をまとめてみようと思う。

それでは早速書いていく。

 

 

〇コロナ世代のファーストインパク

が、今年の場合は①と②が半壊していた。2月中旬に、リクナビマイナビの合同説明会の中止が発表された。3月1日に行う超でかい大合同説明会である。

あれが中止されてから、就活戦線が軒並み崩壊するのを目の当たりにした。

 

説明会や選考の一時中止のメールが一日に数通届く日々。

本来ならスケジュールがパンパンに満ちていたはずが、ほぼ白紙になってしまった。

私は割と意識高い系の就活生だったので、3月までには自己分析やSPI対策をそこそこ終えていたし、インターンにも10社ほど参加していた。

言うなれば、「温まった状態」だったわけだ。ブルペンで投球練習を終え、いつでもマウンドに行く準備はできているぞ!からの試合中止。壮大な肩透かしを食らってしまった。

〇「よりによって・・・」な時期に落ちてきたハルマゲドン

3月は、就活の予定がほぼ白紙になったので、自宅で悶々とする日々が続いた。

業界研究や企業研究、自己分析などを繰り返して、就活に関する不安を掻き消していた。出来る事は限られている一方、何もしないのも罪悪感が生まれる。

努力によって、それを拭い去るしかなかった。

 

就活に励む一方で、「この先どうなるのだろう?」というリスク査定不可能な、捉えようのない不安が常に頭のどこかにあった。

大多数の人がそうだが、自分の人生においてパンデミックを迎えたことなどない。

そもそも命の不安や社会情勢に関する不安がある中で、就職活動に向き合うのはちょっとキツイものがあった。3月や4月はコロナが本格化し始めた最初の時期というものもあって、今とは比べ物にならないほど、大きな恐怖が間違いなくあった。

 

だが、言い訳はしたくなかった。「コロナだから就活が上手くいかなかった。」とは言いたくなかった。単に、自分の運の悪さを認めたくなかったからだと思う。

もちろん、「なぜこんな時期に・・・。」というぶつけようのない怒りは当然あった。

それでも、「起きてしまったことはしょうがない・・・!」と強引にでも前を向こうと努めた。半ば無理やりなポジティブな感情と、コロナに対するネガティブな憤りの双方を反復横跳びしながら、どうにかこうにか自我の安定を保った。

〇web面接に関するイライラ

4月中旬ごろから、web面接が少しずつ始まった。zoomやteamsなどを用いて企業と面接をする。もちろんこれもはじめての経験だったので、最初は少々戸惑った。

「面接をしている」という実感がイマイチ湧きにくいというか、熱意が入りづらくて最初は困った。2回、3回と回数を重ねるうちに慣れていったが・・・。

 

zoomのサウンドエフェクトの設定を知らずのうちに、いじってしまい面接官の声が「シンバルのエコーがかかった状態」で30分面接をすることもあった。

(※直し方をぐぐったが、zoomが使われ始めた時期だったからか、解決策が明示されている記事がヒットしなかった。自分でも探したが、どこで直せるか見つからなかった。)

その面接は当然落ちた。

 

回線の問題でタイムラグもある。下手すると、一時的に音声が途切れるので面接官に再び聞き返す事になる。

「オンライン」は確かに便利。移動時間の短縮や移動にかかるコストを必要としない。

しかし、直接会う方が実はスムーズにコミュニケーションがとれるのではないだろうかと気づいた。

 

また、私の実家は狭いので、一人きりになれるスペースの確保が難しい。

両親も在宅なので、皆家にいる。そうするとどうしても生活音が入ってしまう。

仕方ないので有料でレンタル会議室を借りて、そこでweb面接を受ける日々・・・。

私以外にも同じような境遇の就活生が居たのではないだろうか?

 

〇限られた「息抜き」

就活を上手に進める為には、適度なストレス発散が肝要だ。しかし、21卒の場合は息抜きさえも制限されていた。外出自粛をしていたためである。もちろん義務感だけではなく、自分の身を守ろうと自然と行っていた行動ではある。

ただまあ友達と飲みに行って、憂さ晴らしをしたり、どっか遊びに行ってリフレッシュということが出来なかったので辛かった。自宅でただ一人で見えない恐怖や認識不能の無限大リスクを備えた就活への不安に押しつぶされそうになっていたのが、4月。

21卒の就職活動は不要不急だったのかもしれない。(おおげさか)

 

〇就職戦線から途中で離脱した自分

コロナのせいにするつもりもないが、就活は全く上手くいかなかった。

最終面接で落とされたり、二次面接で落とされたり、時間をかけて丁寧に書いたESが落とされたり・・・。今まで大きな挫折を味わってこなかった私は途方に暮れた。

自分の努力が通用しないということは今までなかったからだ。めちゃくちゃロジカルに考え抜いて、誰よりも企業研究をしているという自負があったのに。なぜ?と悩んでいた

 

5月や6月もweb説明会、web面接を受け続ける日々。

結果が中々出ずに、それでも諦めずに改善点を探し、「次こそは、次こそは」という思いで面接を受け続けた。

 

7月のクソ暑い時期になっても就活が終わらない。この時期になると対面で面接を行う会社も少しずつ出てきて、スーツ姿で会社に向かうのはキツかった。

 

そろそろ自家発電で、就活に関するモチベを維持し続けるのにも限界が訪れていた。

「もう少し頑張ろう」と言い聞かせて続けても、いっこうに成果に結びつかない。

自分の能力の無さに嫌気がさして、いつしか無気力感に苛まれていた。ポキッといってしまったのだ。

 

そして夏ごろから自然と就職戦線から離脱していた。現実逃避をするために卒論の執筆に取り掛かっていた。

卒論も、就活に次いで大切なタスクである。卒論を書いている間は、就活への不安も紛らわす事ができたし、「努力している感」もあったので割とヘラヘラしていたように思う。

「就活上手くいってないけど、卒論頑張ってるしぃ~??」という謎の慰めを自分にする。言い訳はダサい行為ではあるが、時には自分の身を守ってくれる。

 

〇8月下旬にむくりと起きあがる

夏も終わりかけてさすがにまずいと思ったので、就活再開。

もうこの時期になると説明会に参加している人数がめちゃ少ない。

あと活気も全然ない。去年の秋冬のような活気はどこにもなかった。

しらけムード全開である。就活生も絶望しきってるし、企業側もあらかた採用人数を確保しているだろうから、必死になる必要がないわけだ。

 

当然こちらもモチベがなかったが、それでも搾りカスを出してなんとか就活に励んでいた。

こっから更に落とされる会社もあったが、10月に満身創痍でゴールイン。

幸い、「英語を活かせる仕事」をしたいという就活の軸を満たした会社に採用して頂いてホッと一息。

 

就職浪人も考えていた。満足できる就職先がなかったが、来年はどうなるか分からない。だが、来年は更に就活が厳しくなるだろうということだけはハッキリと分かっていた。

 

採用枠がそもそも少ないのに、既卒で戦えるわけがない。それに同じことを考える同期の就活生だって恐らく居るはずだ。しかも少なくない数の。そうするとマジでキツイ戦いになる。ただでさえ21卒の就活で疲弊しているのに、もう一年遊べるドン状態に入ると、強制で「おにモード」に突入する事になる。ノルマクリア達成は絶対に無理。

本当は本の編集者やTVディレクターになりたかったが全力を尽くして無理だったのならもう一年やっても結果は同じだろうと。それに今の時代はブログやYoutubeで無料で好きなだけコンテンツ発信が出来る時代だ。そこで欲求を満たせばいいだけの話。

 

そんな経緯で、私を拾ってくださった会社でまずは全力を尽くそう、と。

現実に折り合いをつけて就活を終了させた。

 

〇人生は予測不可能ということを身をもって知る

唯一の利点は、「人生は予測不可能」ということを身をもって体感した事。

当たり前のように会社に入って、当たり前のように年を重ねて家庭を築く・・・。

つまり、平穏無事で生きていけることが当然のように思っていた。

しかし、そもそもこの世界は、不確実性の連続である。

 

自分では予測が出来ず、尚且つ自分ではコントロールができない事。

どうしようもない理不尽に襲われることは、生きていれば必ずや訪れる。

そして、人間はやはり自然には敵わない。

 

高度に発達したかのように見えた文明社会は、こんなにも脆いのだ。

 

社会人になる前に、これからの人生に対する覚悟は間違いなく生まれた。

 

会社が倒産しても、他の会社で雇ってもらえる能力や実績、人脈はあるか?

自分一人でお金を稼げるスキルはあるか?

有事の際でもびくともしない貯金や資産はあるか?

 

危機的状況においては、まず自分で自分の身を守らなくてはいけない。家族がいるのなら家族を守らなくてはいけない。国に頼りすぎることなく、自分でどうにかする気概が必要だ。

 

会社に守ってもらうのではなく、自分の力で利益を生み出せるように動く。

市場価値の高いスキルを獲得するべく、毎日コツコツと努力する。

意識の高いアクションは、追い込まれた経験から生まれた。

 

〇最後に

いざフタを開けてみれば、大混乱の就活であった。

そもそも21卒は、就活は前倒しで終わると言われていた。オリンピック前には採用は終わるだろう。」と色々な人から言われていた。

思うに、「〇〇前には終わる。」というのはフラグである。さながらクリスマスまでには帰ってくると告げて、戦線に出向いていった第一次世界大戦の兵士のように。

 

未来の見通しは誰にも不可能で、いかなる時も油断はあってはならない。

強烈に刻み込まれた経験となったのが、21卒の就活である。

命からがらで、就活戦線を無事に勝ち抜いた我ら21卒兵士達。

 

この先の激動の時代においてもタフに生き延びる事ができるはずだ。

共に頑張りましょう。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

私のTwitterアカウントは

Mizuki Endo (@msecond0513) on Twitter

 

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