Mizuki Blog

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21卒の就活を終えて~我らはコロナ世代~

私は21卒の就活生である。いわゆる「コロナ世代」である。

就職活動は、大学四年の10月に終えた。

普通に考えれば、かなり遅い方である。自分もまさかここまで時間がかかるとは思っていなかった。就活を始めた3年の夏は未来への希望に満ちていたというのに・・・。

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3月1日に就職活動が「解禁」され、一気にロケットスタートを切るのがここ数年の通例。

まぁ、解禁とは建前で、3月より前に内定を出している会社だってたくさんあるのだが。

 

※就活が本格的に解禁される3月より前に内定を保持している就活生はTwitterでマウントを取りがち。(当社調べ)

 

私の肌感としては、内定を得る時期には、いくつかの波がある。

 

⓪3年の秋~冬 外資系に入るエリート組やベンチャー

①就活解禁直後~GWまで

②GW明け~

③6月1日~(大企業の面接スタート)

④夏休み前までのラッシュ

 

まぁ、かなりざっくりだがこんな感じのフェーズだろう。

 

本記事では、コロナ就活体験記をまとめてみようと思う。

それでは早速書いていく。

 

 

〇コロナ世代のファーストインパク

が、今年の場合は①と②が半壊していた。2月中旬に、リクナビマイナビの合同説明会の中止が発表された。3月1日に行う超でかい大合同説明会である。

あれが中止されてから、就活戦線が軒並み崩壊するのを目の当たりにした。

 

説明会や選考の一時中止のメールが一日に数通届く日々。

本来ならスケジュールがパンパンに満ちていたはずが、ほぼ白紙になってしまった。

私は割と意識高い系の就活生だったので、3月までには自己分析やSPI対策をそこそこ終えていたし、インターンにも10社ほど参加していた。

言うなれば、「温まった状態」だったわけだ。ブルペンで投球練習を終え、いつでもマウンドに行く準備はできているぞ!からの試合中止。壮大な肩透かしを食らってしまった。

〇「よりによって・・・」な時期に落ちてきたハルマゲドン

3月は、就活の予定がほぼ白紙になったので、自宅で悶々とする日々が続いた。

業界研究や企業研究、自己分析などを繰り返して、就活に関する不安を掻き消していた。出来る事は限られている一方、何もしないのも罪悪感が生まれる。

努力によって、それを拭い去るしかなかった。

 

就活に励む一方で、「この先どうなるのだろう?」というリスク査定不可能な、捉えようのない不安が常に頭のどこかにあった。

大多数の人がそうだが、自分の人生においてパンデミックを迎えたことなどない。

そもそも命の不安や社会情勢に関する不安がある中で、就職活動に向き合うのはちょっとキツイものがあった。3月や4月はコロナが本格化し始めた最初の時期というものもあって、今とは比べ物にならないほど、大きな恐怖が間違いなくあった。

 

だが、言い訳はしたくなかった。「コロナだから就活が上手くいかなかった。」とは言いたくなかった。単に、自分の運の悪さを認めたくなかったからだと思う。

もちろん、「なぜこんな時期に・・・。」というぶつけようのない怒りは当然あった。

それでも、「起きてしまったことはしょうがない・・・!」と強引にでも前を向こうと努めた。半ば無理やりなポジティブな感情と、コロナに対するネガティブな憤りの双方を反復横跳びしながら、どうにかこうにか自我の安定を保った。

〇web面接に関するイライラ

4月中旬ごろから、web面接が少しずつ始まった。zoomやteamsなどを用いて企業と面接をする。もちろんこれもはじめての経験だったので、最初は少々戸惑った。

「面接をしている」という実感がイマイチ湧きにくいというか、熱意が入りづらくて最初は困った。2回、3回と回数を重ねるうちに慣れていったが・・・。

 

zoomのサウンドエフェクトの設定を知らずのうちに、いじってしまい面接官の声が「シンバルのエコーがかかった状態」で30分面接をすることもあった。

(※直し方をぐぐったが、zoomが使われ始めた時期だったからか、解決策が明示されている記事がヒットしなかった。自分でも探したが、どこで直せるか見つからなかった。)

その面接は当然落ちた。

 

回線の問題でタイムラグもある。下手すると、一時的に音声が途切れるので面接官に再び聞き返す事になる。

「オンライン」は確かに便利。移動時間の短縮や移動にかかるコストを必要としない。

しかし、直接会う方が実はスムーズにコミュニケーションがとれるのではないだろうかと気づいた。

 

また、私の実家は狭いので、一人きりになれるスペースの確保が難しい。

両親も在宅なので、皆家にいる。そうするとどうしても生活音が入ってしまう。

仕方ないので有料でレンタル会議室を借りて、そこでweb面接を受ける日々・・・。

私以外にも同じような境遇の就活生が居たのではないだろうか?

 

〇限られた「息抜き」

就活を上手に進める為には、適度なストレス発散が肝要だ。しかし、21卒の場合は息抜きさえも制限されていた。外出自粛をしていたためである。もちろん義務感だけではなく、自分の身を守ろうと自然と行っていた行動ではある。

ただまあ友達と飲みに行って、憂さ晴らしをしたり、どっか遊びに行ってリフレッシュということが出来なかったので辛かった。自宅でただ一人で見えない恐怖や認識不能の無限大リスクを備えた就活への不安に押しつぶされそうになっていたのが、4月。

21卒の就職活動は不要不急だったのかもしれない。(おおげさか)

 

〇就職戦線から途中で離脱した自分

コロナのせいにするつもりもないが、就活は全く上手くいかなかった。

最終面接で落とされたり、二次面接で落とされたり、時間をかけて丁寧に書いたESが落とされたり・・・。今まで大きな挫折を味わってこなかった私は途方に暮れた。

自分の努力が通用しないということは今までなかったからだ。めちゃくちゃロジカルに考え抜いて、誰よりも企業研究をしているという自負があったのに。なぜ?と悩んでいた

 

5月や6月もweb説明会、web面接を受け続ける日々。

結果が中々出ずに、それでも諦めずに改善点を探し、「次こそは、次こそは」という思いで面接を受け続けた。

 

7月のクソ暑い時期になっても就活が終わらない。この時期になると対面で面接を行う会社も少しずつ出てきて、スーツ姿で会社に向かうのはキツかった。

 

そろそろ自家発電で、就活に関するモチベを維持し続けるのにも限界が訪れていた。

「もう少し頑張ろう」と言い聞かせて続けても、いっこうに成果に結びつかない。

自分の能力の無さに嫌気がさして、いつしか無気力感に苛まれていた。ポキッといってしまったのだ。

 

そして夏ごろから自然と就職戦線から離脱していた。現実逃避をするために卒論の執筆に取り掛かっていた。

卒論も、就活に次いで大切なタスクである。卒論を書いている間は、就活への不安も紛らわす事ができたし、「努力している感」もあったので割とヘラヘラしていたように思う。

「就活上手くいってないけど、卒論頑張ってるしぃ~??」という謎の慰めを自分にする。言い訳はダサい行為ではあるが、時には自分の身を守ってくれる。

 

〇8月下旬にむくりと起きあがる

夏も終わりかけてさすがにまずいと思ったので、就活再開。

もうこの時期になると説明会に参加している人数がめちゃ少ない。

あと活気も全然ない。去年の秋冬のような活気はどこにもなかった。

しらけムード全開である。就活生も絶望しきってるし、企業側もあらかた採用人数を確保しているだろうから、必死になる必要がないわけだ。

 

当然こちらもモチベがなかったが、それでも搾りカスを出してなんとか就活に励んでいた。

こっから更に落とされる会社もあったが、10月に満身創痍でゴールイン。

幸い、「英語を活かせる仕事」をしたいという就活の軸を満たした会社に採用して頂いてホッと一息。

 

就職浪人も考えていた。満足できる就職先がなかったが、来年はどうなるか分からない。だが、来年は更に就活が厳しくなるだろうということだけはハッキリと分かっていた。

 

採用枠がそもそも少ないのに、既卒で戦えるわけがない。それに同じことを考える同期の就活生だって恐らく居るはずだ。しかも少なくない数の。そうするとマジでキツイ戦いになる。ただでさえ21卒の就活で疲弊しているのに、もう一年遊べるドン状態に入ると、強制で「おにモード」に突入する事になる。ノルマクリア達成は絶対に無理。

本当は本の編集者やTVディレクターになりたかったが全力を尽くして無理だったのならもう一年やっても結果は同じだろうと。それに今の時代はブログやYoutubeで無料で好きなだけコンテンツ発信が出来る時代だ。そこで欲求を満たせばいいだけの話。

 

そんな経緯で、私を拾ってくださった会社でまずは全力を尽くそう、と。

現実に折り合いをつけて就活を終了させた。

 

〇人生は予測不可能ということを身をもって知る

唯一の利点は、「人生は予測不可能」ということを身をもって体感した事。

当たり前のように会社に入って、当たり前のように年を重ねて家庭を築く・・・。

つまり、平穏無事で生きていけることが当然のように思っていた。

しかし、そもそもこの世界は、不確実性の連続である。

 

自分では予測が出来ず、尚且つ自分ではコントロールができない事。

どうしようもない理不尽に襲われることは、生きていれば必ずや訪れる。

そして、人間はやはり自然には敵わない。

 

高度に発達したかのように見えた文明社会は、こんなにも脆いのだ。

 

社会人になる前に、これからの人生に対する覚悟は間違いなく生まれた。

 

会社が倒産しても、他の会社で雇ってもらえる能力や実績、人脈はあるか?

自分一人でお金を稼げるスキルはあるか?

有事の際でもびくともしない貯金や資産はあるか?

 

危機的状況においては、まず自分で自分の身を守らなくてはいけない。家族がいるのなら家族を守らなくてはいけない。国に頼りすぎることなく、自分でどうにかする気概が必要だ。

 

会社に守ってもらうのではなく、自分の力で利益を生み出せるように動く。

市場価値の高いスキルを獲得するべく、毎日コツコツと努力する。

意識の高いアクションは、追い込まれた経験から生まれた。

 

〇最後に

いざフタを開けてみれば、大混乱の就活であった。

そもそも21卒は、就活は前倒しで終わると言われていた。オリンピック前には採用は終わるだろう。」と色々な人から言われていた。

思うに、「〇〇前には終わる。」というのはフラグである。さながらクリスマスまでには帰ってくると告げて、戦線に出向いていった第一次世界大戦の兵士のように。

 

未来の見通しは誰にも不可能で、いかなる時も油断はあってはならない。

強烈に刻み込まれた経験となったのが、21卒の就活である。

命からがらで、就活戦線を無事に勝ち抜いた我ら21卒兵士達。

 

この先の激動の時代においてもタフに生き延びる事ができるはずだ。

共に頑張りましょう。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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Mizuki Endo (@msecond0513) on Twitter

 

人間が生きる意味は、「どうせ」の先にある。

20歳の頃の自分は、酷かった。何が酷いかといえば、人間性が。生き方が。精神が。

 

生きていても何も楽しくなかった。常に不安で、現状に対する不満で満ちていて、何に対しても臆病。とにかく、抑うつ的な状態に陥っていた。マイナスの男。最悪でしかない。

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冒頭から恥ずかしげもなく、自分可哀そう的な自分語りで始めてしまったことにお詫びを申し上げたい。

 

ふと、生きるモチベについて考えてしまう事がある。過去の自分を振り返ったときに20歳の頃の自分は特にヤバかったなと。

 

人間の一生には浮き沈みがある。当然、万事が順風満帆というわけではない。

調子が良い時もあれば、どん底の更に下、マントルにまで堕ちる事もある。

禍福は糾える縄の如し。人間万事塞翁が馬。世は諸行無常なのだ。

 

2年経った今、あの頃の自分がなぜそのような精神状態にあったかは分からない。

生まれ持った性質なのかもしれないし、後天的な生育環境によるものなのかもしれない。死にたい。という破滅を願う思想ではなく、生きたくない。という消極的な気持ちがあった。

 

とにかく何をするにもビビりで、バイト先でも、自分の思ったことを主張できず、嫌われないようにヘコヘコしながら、誠意をアピールする。

自分に自信がないから、過度に自分のスペックをアピールしようと、高い服を買ってみたり、クールキャラ気取って見たり、痛痛の痛である。

 

なぜだか私は闇の中にいた。

 

就活を経て、自己分析をして自分の良さや短所が自分なりに分かってきた事。就活を通じて自分の限界が見えてきた事。コロナ禍で、自分と向き合う時間が作れた事。

 

様々な要因と、長い時間が、いつのまにか自分を闇の外に導いていた。

 

結局、今もこうしてヘラヘラと生きている。生きている意味は分からない。

生きるモチベも分からない。それでもただなんとなく生きているし、生かされている。

 

私は、大学のゼミで「生きる意義」についてニーチェという哲学者を参考にしながら研究をしている。「生きる意義」という答えが初めから存在しない、不毛ともいえるテーマに悪戦苦闘しながら向き合っている。ただの変人である。

 

〇合理的思考の限界

私が思うに、生きる意義を合理的な観点から探ろうとしても難しい。

なぜならつまるところ、人間の生死に合理的な意味はないから。

生物は、生殖本能を持つ。人間とて同じ。

子孫繁栄の本能の末に産み落とされたに過ぎない。そして新たに生まれた人間は、また新しい子孫を残すために生きる。我々はその途方もない連鎖の果てにある。

 

それだと、あまりにも身も蓋もないので、宗教や哲学が人間の「生き死に」に意味を与えている。人間はそれを信じる事で、自分の生を支えてきた。

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しかし宗教が説く人間の生きる意義にせよ、全てが合理的な訳でもないし、納得のいくものとは限らない。

それでも尚、宗教を信じる事で人は救われてきたわけではあるし否定するつもりは全くないが・・・。

 

〇生きていく為のガソリンなんて、なんでもいい

自分を動かすガソリンを補給する事が、何より大事。ガソリンの中身なんて、何でも良いんです。あなたという乗り物が動けばそれでいい。俗っぽい欲望でも良いし、ゲスい欲望でも良いし、社会的大義でも良いし、邪でも、非現実的な事でもOK。

 

つまり、何かしらの欲望がある限り、それが自分にとっての生きる意義たり得るという事。「なんの為に生きているか分からない・・・。」という状態は至って普通。なぜなら既に述べた通り、人間が生きる意義など説明がつかないから。

 

人生をただただなんとなく生きていると、自分が持っていた本来的な欲求を忘れてしまう。世の中に存在する常識や義務、規範に流されて、この世を漂うだけのクラゲと化してしまう。世の常識という波に左右されるだけの存在。そのように生きるのはやはり悲しい。

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やりたい事を思い浮かべ、それを実現する為に自分を突き動かす。

やりたい事といっても、崇高な目標でなくていい。美人と付き合いたいとか、金持ちになりたいとか、高級車を乗り回したいとかでもいい。

 

欲求を満たすために生きる。至って単純だ。

 

〇思考をこねくりまわした末に辿り着く、出口のないラビリンス

いやいや単純すぎだろ、とのお叱りを受けるかもしれない。「やりたい事をするために行動して生きろ」なんてマッチョイズムな考えはウンザリだ、と。

 

まあ、ただ一見アホっぽく見える「快楽主義的」な生き方って、単純であるが故に効果もそこそこあるとは思う。

 

哲学とか宗教においては、「欲望といかにして向き合うか?」というテーマは古代ギリシャの時代から論じられてきた。

 

例えば、古代ギリシャ思想である「ストア派」では、「理性によって感情に打ち勝とう」と説かれている。感情が欲する財産や地位ではなく、理性によって自己鍛錬に努めよと。ストア派の思想を打ち立てたゼノンは、「人間の欲望や感情に縛られて生きる事は不自然である。」と提唱した。

 

※西洋哲学や仏教、その他哲学者の思想を引き合いに出すとキリがないので、本記事では割愛させていただく。

 

「生きる意義」とは、考えたり調べたりするほど、何がなんだか分からなくなる。古今東西あらゆる思想が存在する。もちろんそれを学び続ける事に意味があるし、人生は勉強の連続でもある。

 

先人たちの偉大な思想の足元にも及ばない、くだらない主張であるが、それでもやはり自己の欲望からは逃れられないと思う。

 

いやまぁ、ショーペンハウアーも「欲望は海水のようなもの。飲めば飲むほど、のどが渇く。」的な事を言っているが欲望を満たそうとしなくても、結局は、のどは渇いたままなのである。

 

欲望を抑えたまま、ウズウズと生きていも、苦しい。

欲望を叶えても、次から次へと新たな欲望は湧く。終わりはない。それもそれで苦しい。

 

生の本質は「苦」であるため、どちらにせよ仕方のない事。

 

〇全てはノソノソと動き出すから

私の悩みの一つは、「やりたい事がない。」だった。

解像度を高く述べると、「ありあまるエネルギーがくすぶっているものの、どこにぶつけたらいいか分からない。」「このエネルギーを昇華させて、何らかの実績を上げ有名になりたい。」というもの。

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臆病で不安がちだったくせに、燃料自体はあったんです。逆説的に言えば、燃料が積んであるのに、目的地が決まっておらず、いつまでもスタート地点から出られないような状況だった。

 

しかし、とはいうものの実はやりたい事は既にその頃(2年前)からあった。

それは、「文章を書く事。」である。ブログやnote、Twitterで文章を書くことは昔から好きだった。誰に言われるわけでもなく、自然とやっていた。

 

今と昔で何が違うかといえば、「どうせ病」にかかっていたということ。

 

どうせ誰も読まない。どうせ才能がない。どうせ埋もれる。どうせ、どうせ、どうせうわああああああ。

 

今の場合、少なくとも「どうせ病」は完治しつつある。文章を書くことについては、

どうせ読まれない、それでもやる、いや、やりたい。と思う。

 

そして、たくさんの人に読んでいただく事を目指す。

売れているライターの文章術や発想、語彙などを学ぶ。知識を蓄える。本を読む。読まれる文章とは何かについて考える。Twitterのフォロワーを増やす。

 

どうせ、の先にやるべき事はある。

 

〇夢中で生きるということがあなたを救う

仏教には、無常という思想がある。この世の一切のものは、常に生まれては消え、恒常的に不変のものは存在しないということを意味する。

 

万物は過ぎ去り変化する。現状に固執しすぎることなく、常に人生を謳歌する事が重要だ。

「無我夢中」という四字熟語がある。

無我とは、元々仏教の言葉で、「常恒不変なものは存在しない。」という事を意味する。固定された自己の姿がないが故に、特定の思想に執着する事もない。

「無我夢中」となって、物事に没頭する事は、「生きる意義について悩んでいる」状態をも脱している。

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無我夢中に至る方法として有効なのが、「欲望をごまかさずに生きる。」という事だと思う。

 

〇生きる意義とは、田中み〇実である

さて、話をまとめに入ろう。生きる意義とは、「あなたの欲望」です。あなたの欲望こそが、あなたを突き動かす原動力たり得る。ゲスであろうが何だろうが関係ない。

私の場合も、いくつもの燃料を持っている。

カッコいい車に乗りたいし、世界一周したいし、良いスーツ着たいし、デカい家に住みたい。なんか色々欲しいじゃないですか。かっこいいモノ欲しいし、知らない場所行ってみたいし、デカい家で広々と暮らしたい。

 

あと美人とも付き合いたい。田中み〇実アナとか好き。

 

恥ずかしいぐらいに俗ですが、そんなのでいいんです。欲が苦を生むことは重々承知。

でも、そもそも生きる事自体が「苦」である。

 

ジタバタともがきながらも、生きる事そのものから生じる「苦」を忘れるくらい、何かに没頭し続ける事。

 

人生を最大限謳歌する為には、このような姿勢が必要であると私は感じる。

ノソノソと動きながら、やりたい事に向かっていく気持ちを持とう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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Youtubeやブログでの発信とSNSでの発信の本質的な違い

誰もが簡単に情報を発信できるようになった現代。

ブロガーやインスタグラマー、YoutuberやTikTokerなど、様々なプラットフォームから成功を収める者が生まれるようになった。

 

初期費用をかけずに、有名になりお金を稼ぐチャンスがあるのがインターネットであり、SNSプラットフォームだ。

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インターネットの利点は、自分の好きなように、自由に表現したい事や伝えたい事を発信できる点にある。しかし、もし仮に「有名になりたい」のならば、戦い方を見定めておかなければならない。

 

本記事では、Youtubeやブログでの発信活動において重要なポイントをまとめていく。

 

 

Googleアルゴリズムに則ったコンテンツ発信

Youtubeで発信活動して、登録者数を伸ばしたい場合。

「やりたい事ファースト」というよりも、「Googleアルゴリズムに乗っかった上で、自分らしさを表現する。」のが、正しい。

Youtubeの動画には、流行りの波がある。

 

■最近流行しているYoutubeの動画

 

・THE FIRST TAKE

・格闘家が街の喧嘩自慢のヤンキーとスパーリング

・ルームツアー

・モーニング/ナイトルーティン

・斎藤さん

・ぼったくりバー

 

Youtubeアルゴリズムでは、ある動画を見た場合、関連動画にまた同じ種類の動画が表示されるようになっている。ユーザーの滞在時間を増やすための仕組みである。

Youtubeは、「出来る限り長くユーザーに留まってもらう事」を最も重要視している。

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従ってYoutubeで人気を獲得する為には、流行の波をキャッチし、その波に乗らなくてはいけない。(関連動画のサイクルに入る。)その上で自分らしさを表現していく事が求められる。

 

ブログでアクセス数を集め、人気サイトに育てたい場合も同じ。Youtubeと同様、フィールドはGoogleなので、Googleが好むコンテンツを作らないといけない。SEO対策に振り切って、尚且つ検索ニーズを充足する。

SNSTwitterやインスタ)における情報発信

Twitterは、比較的"発信内容そのもの"で勝負できる。ウケたもん勝ちというか、大衆心理を揺さぶる発信が出来れば、インプレッションは上がる。

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つまり、自分が発信したい事が先んじて有る場合、Twitterでの発信に注力すべきだと思う。Twitterでのフォロワーやファンが多ければ、Googleアルゴリズムに適していないコンテンツであっても、Twiiterに投稿する事で自分のフォロワーに見てもらう事が出来る。

 

〇最後に

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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コンテンツが溢れた時代における攻略法。ブログのネタをどう考えるか?

誰もが情報を簡単に発信できるようになった現代。コストを必要とせず、特別な技術がなくても、情報やコンテンツを世界に向けて届ける事が出来るようになった。

情報発信のハードルは、ほぼ0に等しい。

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従って、コンテンツは溢れかえった状態にある。

 

我々は日々、膨大な量の情報を処理している。TwitterInstagramなどのSNSを始め、Youtubeなどの動画サイト、NetflixAmazon primeなどのサブスクサービス、ネットを開けば、まさに天文学的数字に及ぶwebサイトの数々・・・。どれひとつとっても、とてもじゃないが一日に消費し尽くす事は出来ない。

 

インターネットは、どこも大渋滞なのだ。その中から、発見される事は確かに難しい。

 

だからといって、情報を発信したいと思っているのに、諦める必要はない。

コンテンツ過多な時代においても、勝てる方法はある。

最初から諦めていては、何も変わらないし何も始まらない。

 

本記事では、コンテンツが溢れた時代における攻略法をまとめる。ブログのネタを考える参考になればと思う。

 

それでは、まずコンテンツを発信する上で必要な、基本的な視点について解説していく。

 

〇必要となる視点や心構え

 

コンテンツ過多な時代において、私が考える必要な視点は以下の通り。

 

①読者に有益性や何かしらのメリットを与える。

②オリジナリティがある。(そこでしか読めないコンテンツ)

③軸となるメディアの方向性やメッセージを持つ。

④独自のセンスや考え方×論理的思考力。

⑤何かの分野に特化した知識。もしくは何かの分野への偏愛。

 

①→学びの要素を加える。または、海外ニュースなどを翻訳して、「手間」を解消する。

②→メディアとしての価値を高めることや、ユーザーのリピート率を増やす上で重要。

③→メディアの個性の確立。

④→個性的で尚且つ説得力がある。

⑤ポジショニングがしやすく、周知もされやすい。

 

特に④が重要であると思う。つまり、独創性と説得力の両立。片方だけでは不十分で、双方が揃っていなくてはいけない。説得力だけだと、面白みがない。「ふーん。言ってることは分かった。だけどどっかで見たような内容でつまらん。」となるし、独創性だけあっても「面白いけどイマイチ納得できない。主張がチグハグだな。」ということになる。

 

オリジナリティがあって、読者に印象を残しつつも論理的正当性をしっかりと持つ。

これがコンテンツ発信の理想形なのではないかと考える。

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それでは次に、発信するコンテンツを考える上で必要な具体的なポイントを書いていく。

 

 

①切り口を変える

何かしらのテーマを語る時、その切り口を工夫する事が不可欠である。

例を挙げる。「男磨き」をテーマとした情報商材(note)を販売するTwitterユーザーが多数存在する。しかし似たテーマであっても、十分にオリジナリティを確立する事が出来る。その為には、コンテンツやテーマをどのように扱うかを考えよう。

以下の三点がポイントである。

 

・どの視点で語るか?

・どこから切り取るか?

・どのようにして語るか?

 

男磨きをテーマとした情報商材の本質は、ベネフィットの提示である。

即ち、「いかにして消費者に良い未来を描いてもらうか?」「その商材を買う事で、どのような良い変化を期待してもらうか?」に主眼を置く必要がある。

 

その上で、自分が取り組む分野を考えれば良い。

 

■恋愛の情報商材でのメジャー分野

 

・異性とのコミュニケーションノウハウ

・ファッション

・恋愛工学

・筋トレ×モテ

・ナンパ術

etc・・・。

 

尚且つ、上に挙げた分野も更に細分化が出来る。「コミュニケーション」や「ファッション」ひとつとっても、それぞれ大きなジャンルだ。どの購買層にアピールするかを考える事によって、取り扱うジャンルの内容も先鋭化され、具体性を帯びてくる。

イケイケな渋谷系ギャルにモテる為の恋愛指南なのか、あるいは港区女子からモテるためのものなのか。それぞれすべきアクションやマインドは異なるし、自ずとコンテンツの内容も異なってくる。ナンパの情報商材だってそうで、路上でのナンパ術なのか、ステルスナンパ術なのか。いずれにせよ、細かくターゲットを設定する事がオリジナリティのあるコンテンツを生み出すのだ。

 

私が面白いと思ったのは、週刊禁欲日記というyoutubeチャンネル。

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「禁欲」を軸として、男磨きや自己啓発について語っているチャンネルなのだが、発想が新しいと思った。自己啓発というジャンルはメジャーだが、掛け合わせる事柄次第では、まだまだ新しいものを生み出す事が出来ると思った。

②「問い」を新しく作る

私が好きな、Newspicksパブリッシング編集長である井上慎平氏が以前インタビュー記事でこのような事を語っていた。

 

今は何が課題なのかという認識、つまりイシューがユニークかどうかが重要だと思っているんです。情報爆発により「答え」が溢れた結果、「問い」のほうに価値が出てきているのではないかと。

https://selfmedia.club/tell_me_mediaowner/mediaowner_inoueshinpei/

私は、井上氏のこの考えに大きく影響を受けた。

 

答えやノウハウが溢れかえっているネット社会においては、「既存の問い」「周知された問い」に対する答えは必然的に似通ってしまう。

 

ノウハウが溢れた時代で、必要なのは新たな問いを自ら作り出す力である。解像度を高く、つぶさに現実を見つめて、可視化されていない問題や言語化できずにいるモヤモヤに名前をつけるなどして新たな問いを生み出す事が重要である。新たな問いには新たな答えがある。既存の問いに対する答えは巷に溢れているから価値は低い。

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新しい問い全てに価値があるかと言われると、答えはNOではある。しかし、問いがあるからこそ、我々は問題を認識し、思考の対象とし、対処法や解決策を生み出す事ができる。感知できてはいないものの潜在的に、モヤモヤとした不満を抱いている事象は少なくないのではないか。そこにこそ何かしらすべき新しいアクションが眠っている。

 

新しい問いであるからこそ、新しい答えが生まれる。ここにこそオリジナリティが眠っているのではないか。

③有益性を持たせる

学びの要素を多分に含んだコンテンツというのは、一定の需要がある。

ニュースなどの解説や、本の要約をするYoutuber(サラタメチャンネル.本要約チャンネルなど)などは大きな人気がある。

尚且つ、私見を加える事で、オリジナリティを付加する事が出来る。(必ずしも必要ではないが)

 

いずれにせよ「難解なコンテンツを分かりやすく伝える」という事には、ニーズがある。池上彰氏がその典型となる例だ。(もちろん高いスキルをお持ちである。)

中田敦彦氏のyoutubeチャンネルは、彼の高いトークスキルや広範に渡る知識もあって登録者は実に300万人を誇る。

④エッジの効いた視点でコンテンツを語る

一般的なものさしで物事を語っても、似たような批評、似たような主張となってしまい、薄味で埋没してしまう。かといって無名なコンテンツを取り上げる事で差別化を図ろうと思っても、そもそもそれを誰も知らないので理解されずに終わってしまう可能性がある。

しかし、尖った目線で大衆性のあるコンテンツを語る事で、個性的な発信をする事が可能となる。

 

例えば私の友人に、百合を愛する者がいる。ここでいう「百合」とは、お花の百合ではなく、「女性同士の同性愛」の事を指す。ん?と思った読者の方々。もう少し付き合っていただけますでしょうか。

 

かの友人は映画やアニメ、お笑いなどあらゆる創作物に百合の要素を見出して、コンテンツを分析している。それがなかなかどうして面白い。

"百合愛好家"としてコンテンツを批評する人間などそうそういない。だから独自性があってついつい興味を惹かれる。

ネット社会は広い。彼に共鳴する人間は決して少なくない。

 

だからエッジのある視点であっても、必ず刺さる層はどこかに存在する。

ニッチなジャンルで名を上げたいのならば、有効な手段だ。

⑤「人」にフォーカスする

ハウツーはあらゆる媒体において溢れているし、ノウハウだけのコンテンツはコモディティ化の恐れがある。

 

人にフォーカスし、その人の体験を聞き出す事で、コモディティ化を解消する事が出来る。体験は、説得力や独自性を持つ。独自の体験であるが故に、その体験にはドラマ性がある。そこから得られる学びや気づきには、温度があり、読者の心にも響きやすい。単なる情報だけでは無機質になりがちだ。

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⑥分析コンテンツ

分析コンテンツは、オリジナリティと論理的正当性の両立がしやすい。

 

話題の〇〇はなぜ売れた?なぜ人気?という導入からはじめ、

客観的データを以て分析し、尚且つあなたの意見を加える。

主張の正当性と、個性の確立の双方が成り立つ。

尚且つ、先述した学びの要素を加える事も出来る。

⑦何かに特化する

〇〇といったらこの人!というポジションを確立する事も有効な手段。

 

マツコの知らない世界というTV番組がある。あの番組は、個別のジャンルにおいて、造形の深い一般人の方々が登場する。何かのジャンルに特化した知識を持つ事で、TVやwebメディアに呼ばれやすくなる。

 

例えば、コンビニアイスに日本一詳しいアイスマン福留という方がいる。

Twitterフォロワー数は16万人を超える。

 

何かのジャンルに特化する事で、キャラクターを分かりやすく認知してもらう事が出来る。この人はアイス評論家だよね、この人は〇〇だよねといった具合に。

ヒトやモノがとにかく無数に存在してもらう中で、まずは「発見」してもらわないといけない。1つのジャンルに特化する事は、分かりやすい目印となる。

 

最後に

誰もが発信者となった時代。個性を確立する事は確かに難しい。才能のある人がどんどん可視化されやすくなったからだ。しかしだからといって勝ち目が全くないというわけではないと思う。何事も、戦略が大切だ。いかにして戦うか?を工夫すればまだまだ余地はある。この記事で書いたことが少しでも参考になれば良いと思う。

 

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嫌いな人間と関わる為に必要な思考法。自分で支配をする。

心理学者のアルフレッド・アドラーは、「人の悩みの9割は人間関係である。」と述べた。

 

確かに、人の悩みや愚痴の大半は人間関係に起因する。そしてそれは年齢を問わない。

学生の頃は、クラスメイトや部活仲間、友人や恋人の悪口や愚痴を言うし、社会人になれば上司や部下、取引先などに頭を悩ませる。

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人間は一人では生きて行けず、社会生活を営んで暮らす。

つまり、人間関係の悩みは切っても切り離せないものなのだ。

 

人と関わって生きる以上、悩みは消えない。古今東西、宗教や哲学でその悩みを解決しようと人間は努めてきた。

 

本記事では、嫌いな人、苦手な人と関わる上で基本的となる大切な考え方をまとめていく。

 

前提としてほしい考え方

そもそもの話、世の中に存在する人間全てがあなたと相性が良いわけではない。

惹かれ合う人間もいれば、どうしても分かり合えない人間も居る。それは当然の事だ。

だから、全員と親しくなる必要はないし、それは不可能に近いとも言える。

親しくなる必要はない=口を聞かない、とか仲が悪いというわけではない。

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職務上問題なくコミュニケーションを取りつつ、尚且つストレスが少ない状態。

これが私が目指す理想である。

 

では、次に嫌いな人や苦手な人と関わる上でのマインドについて述べていく。

 

〇3つの考え方

世の中、どこへ行っても必ず最低一人は、イヤな奴が居る。相性の悪い奴が居る。

この場合、あなたが取り得る選択肢は以下の通り。

 

①環境を変える。

②自分の接し方と心の持ちようを変える。

③そもそもなぜこの組織に属するのか?を考える。

 

次に、上記3つの事項についてそれぞれ開設していく。

 

①の環境を変えるという選択肢。基本的には、あまりおススメしない選択肢である。

先に述べたように、嫌な奴や分かり合えない人はどこへ行っても居る可能性が高い。

その度に、職場やコミュニティを変えていてはキリがないだろう。こと仕事になると、皆が聖人では居られない。大げさに言えば、ビジネスは食うか食われるかの戦場でもある。仕事になれば、少々人間性が荒っぽくなる人も居る。

 

もちろん、過剰なパワハラやそれに準ずる行いをしている人が居て、精神に大きな支障をきたしている場合は、逃げたほうがいい。「どの状態で撤退を決めるか?」の線引きは人それぞれというほかない。人の心のキャパシティはそれぞれだ。無責任のように聞こえるかもしれないが、医者と相談しつつ自分の心と向き合って決めていく必要がある。

心機一転、気持ちを切り替えたり、思い切って心を休ませる上では有効な手段ではある。

 

次に②。なぜ私が接し方を変えなくてはならないのか。そう思った方もいらっしゃるかもしれない。「悪いのはアイツだろ!俺/私が変える必要はない!アイツが変わればいいんだ!」と思うかもしれない。

それは至極真っ当な意見である。しかし悲しいかな人を変える事は難しい。自分を変えることの方がまだ簡単だ。(※もちろん自分を変える事もそれ相応の難しさがあるが。)

 

そして何より、あなたは人生を楽しむ権利がある。なぜわざわざ嫌いな人に時間を侵食されて、嫌な思いをしなくてはならないのだろうか。そう考えるとバカバカしく思えてくるのではないだろうか。とはいえ、どこへ行っても分かり合えない人はいる。

だったら、ちょっと心持ちを変えてみればいい。

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有名な自己啓発書に「七つの習慣」という本がある。人生をよりよく生きるためのマインド論が余すことなく書かれており、日本や世界でベストセラーになっている。

そこで書かれている第一の習慣の教えでは、「主体性を持つ事の重要さ」が説かれている。

 

「人は自分の反応を選び取る事ができる」と、第一の習慣の章では書かれている。

 

人から何か不愉快な事を言われた場合であっても、そのまま受動的に受け取り嫌な気持ちになるのか、そもそも相手にせず気にしないのか。或いは反論してみるのか。最小限のコミュニケーションに留め、素っ気なく接するのか。

とにかく全てはあなたに委ねられている。どう反応するのかは自由だ。

いずれにせよ、あなたの精神が満足する選択肢を選べばいい。

 

不快な事を言われて、「コイツのせいで、今日一日の気分を台無しにしたくない。スルーしよ。」でもいいし「コイツ舐めてるな。キレるか。」でもいい。

会社の上司に理不尽な事を言われた場合、ロジカルに反論しても良いし、我慢した方が得だと思えば我慢すればいい。(我慢する事で利益を得られるのであれば、そうした方がいいが、勤め人の場合はその期待値は低い。)

 

主体性があれば、自分が置かれている状況を改善してみようという気概も湧く。

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嫌いな人と関わる場合、あなたがどう対峙するかは自由。無数のコマンドがある。

 

あえて突っ込んでみたりする。参考になるか分からないが、例を挙げてみたい。

 

私のバイト先には、荒っぽい常連クレーマーのお客様が来る。

他の同僚は、「あいつが来ると嫌だ。」と散々愚痴っている。それは当然の事。

私も嫌だが、あえてこちらから関わってみる。

 

ひとしきり謝って気持ちを抑えた後、お客様がなぜ怒っているのか?を深堀して聞いてみる。

大抵は本当に些細な事や、自分中心の事だが、私が改善すべき事かもしれない。

嫌だ嫌だと逃げるのでなく、なんなら真っ向から向き合ってみる。中途半端な距離に居るとパンチが飛んでくるので、距離を詰めてガッチリとクランチをする。

とにかくどう関わるかは自由だ。

 

最後に③。そもそもなぜあなたがその会社や組織に属しているのかを考える事も重要だ。人は、ある目的があって、それを実現する為に行動する。或いは、目的を果たすための手段として、組織に属する。

あなたが果たしたい目的がある程度ハッキリしていれば、嫌いな人との関わりも通過点でしかなくなる。ゴールへの道は、障壁が存在するのが常だ。言ってみれば、「オマケの存在」だ。最重要なのは、あなたが果たしたい目的や目標、夢である。

 

やりたい事が特になにもなく、「やらされている状態」だとどうしてもモチベが出にくい。尚且つそのような気持ちでは被害者意識のようなものが生まれる。

 

最後に

嫌いな人と関わる場合は、こちら側が少々工夫する必要がある。いずれにせよ受動的でなく、あえてこちら側から能動的に関わっていく必要がある。

 

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音声メディアの徹底解説~人気の理由や背景~ Voicyとstand.fmを中心に。

新たなメディア媒体として、近年にわかに盛り上がりを見せる音声メディア。

 

スマートスピーカーや、AppleAirpodsの登場により「音声」は人々にとって更に身近なものとなった。

イヤホンコードを使う事なく、身体にフィットさせたまま音声を享受できる。ストレスなく音声を楽しむことが出来る。

また、音声によって機械に指示を出す事も可能になった。アレクサやSiriなどを誰もが使う時代となった。

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それによって消費者の行動にも変化が訪れた。

例えば、本。従来であれば、本は字を追って読むものだった。

現在では、本を「音声を聞いて楽しむ」という方法も主流になりつつある。

ネットの普及や音声デバイスの発展に伴って、オーディオブックをより身近で便利に楽しむことが出来るようになった。

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また、近年では「音声広告」という新たな広告も誕生している。

 

バイスやIoTの発展により、音声によって新たに可能となる事も今後増えていくと期待される。

 

事実、音声配信サービスの市場はグローバル規模で拡大を続けている。

「少なくとも月に一回は音声配信サービス(ポッドキャスト)を聴いているユーザーの割合は」は、米国が26%、中国は29%に上る。

引用: https://note.com/ogaken/n/na4b0c2d5d370

 

音声サービスは以下のように大別される。

 

ネットラジオ

②音声配信サービス

ポッドキャスト

④オーディオブック

参考URL https://otonal.co.jp/blog/4658

 

音声サービスとひとくちにいっても、多様な種類やサービスが存在するのだ。

 

本記事では、音声コンテンツのメリットや特徴についてまとめていきたい。

また、いくつかの音声メディアの概要と特徴、私見を述べていきたいと思う。

 

それではまず、音声コンテンツが持つ長所について書いていく。

 

■受信者側

〇音声コンテンツの良さ① ながら聞きができる

読者の皆様も、一番に思いつく音声コンテンツのメリットがこれにあたるのではないだろうか。皿洗いや洗濯などの単純作業の際、目を離す事は出来ないので動画やSNSを見るわけにはいかない。しかし、耳なら唯一空いている。

従来であれば、好きな音楽を流す事が一般的だったように思える。しかし、音声メディアやコンテンツが多様になった今、自分好みのコンテンツを豊富な選択肢の中から選ぶことが出来る。隙間時間や単純で退屈に思えてしまう時間を彩ってくれるのが音声コンテンツの良さである。

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私の場合、ジムで運動をしているときや電車に乗っているとき、目的地に向かって歩いているときに音声コンテンツを聴いている。

 

〇音声コンテンツの良さ② 声が持つポテンシャル

この人の声って、なんか癒されるんだよな~と思う事は少なくないはずである。

文字や写真では伝わらない、「声の魅力」を味わう事が出来るのは、音声コンテンツならではであろう。

 

■発信者側

〇音声コンテンツの良さ① 

発信が手軽にできる文章を考えて入力したり、動画を編集したり、綺麗な写真を撮影することなく、手軽に誰でも発信を出来るのが「音声」の良さであると思う。特別なスキルや、高価な機材がなくとも、誰でも使う事が出来るのが「声」なのである。

 

〇音声コンテンツの良さ② 自分のキャラクターを伝えやすい

声は、文字よりも人柄が出やすい。文章の場合、工夫しないと無機質になってしまいがちだ。SNSやブログで見る文章から伝わる人間性と、実際に会った時の印象が違う事もままある。

自分という人間をよりダイレクトに伝える事が出来るのが、音声配信のポテンシャルだ。

 

それでは次に、各音声配信サービスの特徴について(VoicyとStand.fmを中心に)まとめていく。

 

 

Voicy

概要/特徴

Voicyの特徴の一つは、発信者が「審査制」であるということ。誰もがこのプラットフォームで配信できるわけではなく、申し込みをして受理された場合にのみ配信する事が出来る。

 

Voicy代表取締役である緒方憲太郎氏は、以下のように語っている。

配信者であるパーソナリティは著名人だけでなく、ビジネスやその分野の専門家、ミュージシャン、インフルエンサーなど幅広く、年齢もバラバラですが、人を惹きつける面白い話、ユニークな話、役に立つ話ができる「魅力的な人」であることが重要です。

なぜ今音声メディアが熱いのか。VR時代にVoicyが音声メディアに挑むワケ。 - Digital Shift Times(デジタル シフト タイムズ) その変革に勇気と希望を

Voicyは、CGMのサービスではない。(※CGMとは、Consumer Generated Mediaの略称。消費者が生産者となって、生成されたコンテンツや作品のこと。

「魅力的な人」と判断された場合にのみ、Voicyで音声コンテンツを配信する事が出来る。

 

私見

発信者を絞ることによるメリットはいくつか考えられる。

 

まず一つ目は、ユーザーに期待感を与え得るという事だ。つまり先の引用にもあったように、発信者を「魅力的な人」にのみに絞っているが故に、「このアプリを開けばとりあえず何かしら面白い人が見つかるのではないか。」という期待と確信を生むことが出来る。

 

また2つ目のメリットとしては、発信者にとって自己ブランディングの強化になるという点が挙げられる。誰でも発信できるわけではないが故に、パーソナリティーに選ばれるという事は、その人の人柄や経歴、コンテンツの質がある一定のレベルに達しているという事を意味する。(あくまでVoicyの評価と判断によるものではあるが。)

 

従って、Voicyというプラットフォームの人気が上がれば上がるほど、発信者の権威も増す。Voicyでパーソナリティを務める事そのものが「うわこの人凄い」と評価される。

 

”誰もが表現者になれる時代、コンテンツが溢れた時代におけるプラットフォームとは一線を画す。CGM型ではないwebサービスも今後増えていくのかもしれない。

 

☆私の好きなVoicyのチャンネル

サウザーラジオ〜志、天をも穿つ〜 by サウザー/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア

サウザーさんのVoicyは面白い。資本主義社会でどう勝ち抜くか?という命題に主眼をおいて、彼の経験に基づいた独自の思考や哲学を垣間見ることが出来る。冷静に淡々と話しながらも、内容そのものはアツい。新たな発想や、物事の捉え方を吸収できるので、ぜひおすすめのチャンネルである。

 

stand.fm

特徴/概要

CGM型の音声プラットフォームサービス。誰もが簡単に収録配信やLIVEを配信する事が出来る。

 

レター機能により、配信するコンテンツの不足にも困らない仕様となっている。

創業者である中川綾太郎氏の見解は以下の通りである。

直近の目標では配信者にフォーカスし、配信者が面白いコンテンツを作りやすくすることを目標とする。面白いコンテンツが増えれば、配信者や視聴者も自然と増えていく、という考えなのだそうだ。

https://thebridge.jp/2020/08/stand_up_fm

SNSとリンクさせ、レター(話すお題)を募集する事が出来る。また、誹謗中傷や悪質な内容は届かないようになっている。

 

コンテンツ配信におけるボトルネックや、SNS社会における問題点に配慮が行き届いたサービスだ。

 

また、複数人での配信も可能となっている。

 

私見

ネットサービスの良い所は、「普通に生活していては知り得なかった人との出会いがある」という点であるように思える。

stand.fmにしてもそうで、誰かのラジオをのぞき見する事で新たな出会いがある。

音声だからこそ、その人の人柄や魅力が伝わってくる。

有名人や著名人、クリエイターでなくとも、面白い情報や経験、コンテンツを発信している人はたくさん居る。また多数派にウケなくとも、自分にとっての「個人的なお気に入り」が見つかる可能性だってある。「音声を通じた新たな出会いや思わぬ発掘」こそがstand.fmの魅力であると思う。

 

Spoon

韓国を拠点とする企業によって開発されたオーディオライブストリーミングサービス。

主要機能は以下の3つ。

 

LIVE(生配信)

TALK(他ユーザーからリクエストされたお題に応えるコンテンツ)

CAST(収録配信)

 

ギフトマークの使用によって、配信者に支援する事ができる。

Radiotalk

音声収録型による配信。編集により、声の高さや低さ、音量などを加工できる。

また、効果音を挿入する事も可能。ブログやサイトに音声を埋め込むことが出来るのが大きな特徴の一つ。

Podcast

Appleによるインターネットラジオインターネットテレビサービス。

 CGMというよりも、旧来のメディアをインターネットを介して享受する為のサービスである。

 

音声発信について思う事

 

 Twitterでもつぶやいたが、物事を伝える時に、「文章で伝える方が得意」「声で伝える方が得意」かは人によって分かれるのだと思う。

どちらにより時間を費やしているかで、どちらが得意になるかが決まるのではないか?と勝手に思っている。(※私の場合はツイ廃なので文章派)

 

人とのコミュニケーションは双方のスキルが求められる。

テキストベースも大切だし、オンライン会議や対面コミュニケーションでは、自分の思っている事を、精度をなるべく高く、話して伝えなくてはならない。

これが結構難しい。自分の思っている事を上手に言葉にしてアウトプットする事は練習が必要だ。

 

従って音声配信サービスで発信する事は、自分の考えを上手に話したり伝える為の良いトレーニングになると感じた。

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最後に

これからもどんどん新たなコンテンツやスターとなる配信者が生まれてくることだろう。傍観者の立場のみならず、自分も積極的に関わって「音声」というものを楽しんでいきたい。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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