Mizuki Blog

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秋学期のオンライン授業とコロナ対応の是非について

新型コロナウイルスの感染拡大が依然として続いている。

7月上旬と比較して、7月25日現在、感染者は大きく増加している。東京では一日当たりの感染者数が連日3桁を記録し、ついには300人を突破し400人にも迫る勢いである。

猶も予断を許さない状況であり、先行きの不透明な不安な時代を過ごしている。

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一方で、緊急事態宣言が5月下旬に明けて以降社会は徐々に通常運行へと戻っていった。在宅勤務をしていた企業も再び社員が出社するようになり、休校をしていた小中高も学校での授業を再開している。飲食店の営業時間も通常通りとなった。

また、大きく損害を被った観光業界、飲食業界への救済措置として「Go to トラベルキャンペーン」なるものが政府から打ち出されている。

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未曽有の事態に直面する中、国家の対応も足並みそろわず、なにやらちぐはぐな対応が目立つ。あらゆる業界、あらゆる年齢層に歪な問題がもたらされた。誰もが「こんなはずではなかったのに」という鬱々とした思いに悩まされている。

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さて、そんな中大学に関するあるニュースが飛び込んできた。それは秋学期も原則としてオンライン授業を行うというものであった。ないしは、一部の授業を対面再開し、ソーシャルディスタンス、感染予防に配慮した授業を行うというもの。以下に、いくつかの大学における秋学期の授業形態をまとめた。

 

青山学院大学

・原則としてオンライン授業実施。

・対面授業が不可欠とした場合のみ、対面授業実施を可能とする。

同志社大学

・ネット配信授業を利用しながら、対面授業を再開。

早稲田大学

・オンライン授業を基本とし、三密を避け対面授業を一部再開。

一橋大学

・一部対面授業を再開。

中央大学

・オンライン授業を基本としながら、一部授業を再開。

上智大学

・オンライン授業の継続を基本とし、対面で行う必要性の高い授業に限定して、対面授業を実施。

以上がその事例である。さて本記事においては、秋学期のオンライン授業についての私見を述べていきたいと思う。

 

秋学期のオンライン授業について思うこと

感染症の流行については長期的な見通しを立てることが非常に困難であるため、判断が慎重にならざるを得ないというのは理解できる。クラスターが発生しようものなら、世間から大きく非難を浴び大学の品位を損ねてしまう危険性だって存在する。京都産業大学がその典型例であった。

大学生は様々な場所から通学をしてくる。県境をまたいだ通学も普通である。よって高校までと違って、トレーサビリティの確保が難しい。どこから感染したのか?把握するのが難しいし、言い方が悪くなってしまうが図らずも菌を運んでしまう危険性が誰しもある。キャンパスには数百人あるいは数千人にも及ぶ学生が集まる。

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企業や小中高より人口が桁外れに多い。また、大学生は他の学生との接触頻度や人数が、同じく企業や小中高よりも比較的に多い。サークル、各授業のクラス、学部の友人など様々な人と交わる。この点もトレーサビリティの確保を無図郭している要因の一つであろう。

私は現在大学四年生であるが、現在の大学の判断は致し方ないと思うし、甘んじて受け入れるしかないと考えている。最後の一年間、キャンパスに足を運ぶことができないのは非常に悲しいものではあるが、危険性をはらんでいる以上は仕方がない。

学費について

学費に関わる議論は非常に難しい。学生側と大学側の「学費の捉え方」がそもそも異なっているし、大学に感じている価値も差異がある。大学側の財政状態や経営状態にも影響が及ぶし、教職員の生活がある。教職員も当然自分たちの給料が下がることは受け入れたくないはずだ。いわんや、オンライン授業に向けて作業量が増えているにも関わらず、給料まで下げられてしまったらたまったものではないだろう。

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しかしその実私にとっては、学費を下げてほしいのが本音ではあるが、実現する可能性は低いと思っている。もし仮にどこかの大学が学費を一律減免する事を決めた場合、「ウチの大学も学費を下げろ!」という要求が激化する恐れがある。そしてその動きはたちまち全国に広がるはずだ。また、今後も不測の事態に窮した時、毎回学費を下げていては大学側も大変だからだ。

特例を認めるということはその場限りでは済まない事が多く、慎重にならざるを得ない。

オンライン授業導入のコスト

春学期も同様に、学費減額の学生運動は起こった。しかし大学側には有効なカウンターパンチが存在した。それは「オンライン授業導入におけるコスト」である。撮影機材やオンライン授業の為のシステム整備にコストが大きくかかり、学費減額の余裕はないとの事であった。

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しかし、秋学期も同じ理由は通用しないのではないか。なぜなら既にその設備は整っているからだ。修正や改良をするにしても以前のようなコストがかかるのだろうか。

明治大学学長の対応について

明治大学の学長は、当大学のオンライン授業に向けた対応を説明しながらも「このピンチを機に自分の将来やりたい事ことを考えてほしい」と述べた。

また、自身が入学した年の10月から半年間は学生運動で授業が休講になった事を振り返り、アメリカ留学を志したエピソードを話している。

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私は正直げんなりした。典型的な「ワシが若いころはもっと大変だった。若いお前らは恵まれている。だから頑張れ。」的なおっさんのメッセージだからである。わけのわからない精神論は不要である。

全てに納得はいかないが・・・。

正直言って納得いかないことも多い。我々学生側が一方的に不利益を被っている感は拭えない。繰り返しになるが、一方で大学の対応も手探り状態にならざるを得ないのも分かる。どちらにせよ、誠意のある対応、学生側の要求に対して納得のいく説明を求める。謎の上から目線な精神論や論点のすりかえ、最もらしい回答は求めていない。

果たして大学の価値とは?授業の質を測る基準とは?様々な問題をこれからも考え続けていこうと思う。そして大学側と学生側の単純な二項対立に終始しがちな私であるがもっと複合的にこの問題を考えていきたい。

同じ境遇にある大学生の皆様はどのようにお考えでしょうか。よろしければコメントください。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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