私は大学四年生。私大に通っている。大学の学費は、奨学金を借りて全て賄っている。親の金銭的な支援は特にない。裕福な家庭で育ったわけでもない。
そんな私であるが、コロナ禍における大学の学費について少々不満を感じている。
国立の大学へ通えば良かったのでは?という考えが、今これを読んでいる皆様の間に生じたであろう。それに関しては至極真っ当な意見であるし、私の学力不足が結果として招いた事態であるという事を自覚している。
オンライン授業に向けて、どこの大学も大慌てであろう。新しい機材を導入し、教員もオンライン仕様の授業の準備をしなくてはならない。負担は間違いなく増している。
が、しかし、やはり腑に落ちない。
なぜ、このコロナ禍において学費が変わらないのか?
今までと同じサービスを受けられないのに、徴収される料金が同じであっていいのか?
オンライン授業だけならば、放送大学と大して変わらないのではないか。
私たちは、対面で授業を受けたくて大学に入ったのではないか。
では、なぜオンラインだけの大学に、放送大学よりも高い学費を払わないといけないのだろうか。
私は自分で学費を負担しているがゆえに、そうした疑問が次々と浮かんでくる。
とはいえ、大学側にも言い分があるはずだ。そこで、コロナ禍における大学の学費について、色々と調べてみることにした。
- 1.大学の学費とは
- 2.施設料について
- 3.学生側と大学側の認識の差異が生んだ不満
- 4.大学側の負担
- 5.オンライン授業の質について
- 6.出会いの価値
- 7.教員を食わせるために大学に金を払っているわけではない
- 8.結論 やはり納得いかない
1.大学の学費とは
コロナ騒動において、学生側からの不満が噴出している最中、いち早く声明を出したのは早稲田大学だった。早稲田が声明で出した、学費の性格は以下のようなものであった。
"大学における学費の性格について、ご説明いたします。大学の学費は、学部生は学士号を4年間、大学院生は修士号を2年間、博士号は3~6年間で取得するための教育を提供し、学士号・修士号・博士号を授与するに足る教育を修了することに対して総額で設定されています。従いまして、感染症より学生を守るため、ある特定な形の授業形態を取ったとしても、学費が上下するものではありません。大学の学費は、4年間もしくは2年間・3~6年間の教育に対して、必要とされる総額を年数で等分して納めていただいているものなのです。"
なるほど。入学前にそもそも学士号(あるいは修士や博士)を取るためのお金が決まっていて、それを分割しているのだから、学費の減額はそもそも出来ないと。私は、学費の性質について知らなかった。
2.施設料について
恐らく、多くの学生が納得がいってないのが、施設費の徴収であろう。
施設を使えることの対価として、施設料を払っているという認識が多数を占めているからだと思う。
大学側の主張としては、図書館などを維持する際にも金銭は多くかかるという。書籍の購入や設備の新調などにお金はかかる。そうした負担は、どの年度の学生が負担する、というものでもなく平等に納入する必要がある。
しかし、やはり大学の大きな図書館やキャリアセンター、国際交流センターなどの施設が使えないのは不便だし、学業に大きな影響を及ぼしているのは事実だ。
特に私は卒業論文を書かなくてはならない。手軽に文献にアクセスできるわけではないから、結構大変だ。
大学側のリソースを存分に使えない状況にある中で、設備料が変動しないのはやはりどうしても腑に落ちない。
3.学生側と大学側の認識の差異が生んだ不満
上記二つの事例を見るに、学生側から不満が噴出し学費返還運動などがSNSで盛んに起きたのも、大学と学生側の認識の違いによるものだという事が分かる。
私たち学生は、1つの学期で必要な費用として授業料を支払い、設備を使うために設備料を支払っていると認識している。一方で、大学側が認識している双方の費用の性質や事情があまり学生の間で知れ渡っていないため、このような事が起きたのだ。
結果論というか、今更の話だが、もっと早い段階で大学に支払う費用の性質や使われ方を説明してほしかったと感じる。これは各大学により異なるし、私が自ら調べれば済ん話ではあるが。
4.大学側の負担
冒頭でも述べたように、大学は例年に比べて多くの出費を強いられている。オンライン授業に向けて新たなシステムを導入しなくてはならなくなったからだ。
学費を減額したら、大学の経営そのものが危うくなってしまったのであろう。
正直、そういった財政状況はこちら側に知る由もないし、イマイチ理解が深くできない。
5.オンライン授業の質について
各大学、各教員により異なるし、授業の質を推し量る事はほぼ困難である。
オンライン授業により、授業の質が低下したから学費を減額しろ、といった主張は見当違いだ。
6.出会いの価値
恐らく、ほとんどの学生はこのことについて悲しんでいる。学費にはこうした性質は含まれていないので、見当違いな主張であることは間違いないのだが、やはり友人との出会いがないのはかなりの痛手である。
勉強と並ぶ重要な事だからだ。サークル活動で、スポーツや芸事に励み、授業のグループワークを通じて友人と仲良くなる。あるいはキャンパスライフの中で、恋人ができる。
それらの事は、大学が提供する本来の価値ではない。しかし、実のところ、大きな価値である。私たちは、別に遊びに大学に通いに行ってるわけではないが(はずだ)人との出会いに大きな価値を見出している。それがまるごとなくなったのはやはり不満なのだ。
7.教員を食わせるために大学に金を払っているわけではない
明治大学は、学費に関する声明で以下のように述べている。
"職員もその多くが「緊急事態宣言」下の在宅勤務を余儀なくされており,出勤者がほぼ半減する中で毎年行わなければならない通常業務に加えて,今回の新型コロナウイルス感染症対策にかかわる学生・教員の支援業務に必死に取り組んでいるところです。
例年以上の準備及び業務を必要とする、このような授業及びその支援を現在の状況の中で行うことが可能なのは、例年通りの授業料・専攻指導料を納入していただいているからに他なりません。"
誰もが予想しえなかった緊急事態。それに備えるためには、今までより負担の強いられる労働、新たな形態の導入をしなくてはならなくなった。大学側も被害者ではあることは間違いない。しかし別に、教員を食わせるために学費を払っているという認識はなかったので、少々違和感はある。大学を維持させる為にお金を払っているという認識もない。言ってしまえば、自分への投資としか考えていなかった。
従って、大学側が、大学を維持させていくために例年通りの費用を徴収するといっても、あまり納得がいかないのだ。
8.結論 やはり納得いかない
私はやはり、いくら大学側が理屈をこねくり回したところで、今まで通りの大学生活を過ごせずリソースに制限があるのに、今まで通りお金を払うのはどうしても理解できない。
皆様は、コロナ禍における大学の学費についてどう思いますか?
読んでいただきありがとうございました。