中東と言えば、情勢が不安定なイメージを抱いている人が多いのではないだろうか。
まず、前提として現在の中東においては危険な場所もあればそうでない場所も当然あるという事を分かっておいてほしい。
今回の記事では、イギリスの三枚舌外交に焦点を当てて簡単にまとめていこうと思う。
1.中東とは
まずその言葉の定義から。中東は西アジアから北アフリカにかけての国々を示す。
ちなみに中東という言葉は、イギリス視点によるものである。
そもそもの話、このエリアには多種多様な民族が存在し、宗派も異なる。価値観や文化が異なる為、当然対立が生じてしまう。
また、石油が豊富に採掘される地域であるため、アメリカやロシアなどの大国が介入し更に複雑なものとなる。
中東情勢が複雑かつ、理解しづらいのは、様々な要因が絡み合っているからである。
まずは、イギリスの「三枚舌外交」について。
2.第一次世界大戦時におけるイギリスの三枚舌外交
〇フサイン=マクマホン協定
イギリスがアラブ人と結んだ協定。第一次世界大戦が終わった後、アラブ人にオスマン帝国からの独立を支援すると約束した。その代わりに、「アラブ人。オスマン帝国で反乱を起こしてくれ。」と。
イギリスはオスマン帝国と敵対していた為、戦争を有利に進める為アラブ人とこのような協定を交わした。
が、同時にイギリスは、フランスとアラブ地域を支配する事を秘密裏に約束。
それが、サイクスピコ協定である。
第一次世界大戦時、中東地域は「オスマン帝国」という大国であった。
第一次世界大戦後、イギリス・フランス・ロシアで中東地域を分割する事を秘密裏に協定として結ぶ。(ロシアはロシア革命により事実上離脱)
当時は、大国が争って植民地を獲得する事に躍起になっていた時代。
イギリスとフランスは地図にペンで線を引き、支配地域を決めた。
よって、それぞれ別の民族や宗派の集団が、強引にそれぞれ「国」としてまとめられてしまったのである。イギリスは中東支配における優位性を確保する為、戦争に何としてでも勝ちたかったという事情もある。
戦争が長引き、財政が次第に厳しくなっていくイギリス。
そこでイギリスは、ユダヤ人に目をつける。ユダヤ人には多くの資産家が存在する為、ユダヤ人から財政支援を引き出すことを目論んで、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設に賛同。
元々パレスチナは、ユダヤ人の故郷でありそこに国家を建設したいというのが長年の彼らにとっての悲願であった。
従ってユダヤ人に都合の良い態度を示し、彼らからの支援を引き出そうとした。
ユダヤ人は定住の地を持たず常に迫害されてきた。よって定住の地を持たなかったが、バルフォア宣言を機に、世界各地に散らばっていたユダヤ人がパレスチナへ移住してくるようになった。
しかし。パレスチナの地には既にイスラム教徒であるアラブ人が住んでいた。
で、アラブ人は追い出される。
両者に対立が生じたわけだがアラブ人はもともと住んでいた土地だし、ユダヤ人は国家建設が出来ると思って来ているわけで、両者の都合がぶつかりあう構図が生じてしまった。
3.三枚舌外交がもたらした混乱
イスラム世界においては、主な火種が2つ存在する。
一つはイランとイラクの関係。
そしてもう一つが、イスラエル建国によるアラブとイスラエル(ユダヤ人)の対立である。それを生んだのはここまで解説してきたイギリスの三枚舌外交。
1948年のパレスチナ戦争から第四次まで中東戦争が続き今なお対立が続いている。
次回はイラン・イラクの対立など別の角度から中東情勢を見ていこうと思う。
私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたら嬉しい。
それでは。