中東における政治情勢を理解する上で、重要となるファクターの一つ。
「パレスチナ問題」
今回の記事では、中東情勢とパレスチナについて理解するために「中東戦争」について分かりやすくまとめてみようと思う。
1.第一次中東戦争
第一次中東戦争が起きた原因は以前の記事にまとめた通り。
両者の間において計4回、戦争が勃発した。
第一次中東戦争は、1948年から1949年、一年間に渡り繰り広げられた。
アラブ人側には、即ちアラブ連盟加盟国である、シリア・レバノン・ヨルダン・イラク・エジプトが加勢。
対してユダヤ陣営はイスラエルのみ。しかし裏にはアメリカやイギリスの支援があぅた。
イスラエルは、国連が提示した土地よりも広い領土を占領する。
この戦争で、パレスチナ難民が多く生まれ、混乱の原因となった。
2.第二次中東戦争
イスラエル(イギリス・フランス)VSエジプトの戦争。
エジプト
エジプトはナイル川周辺にダムを建設しようとしていた。が、革命が起きてしまい、いったんストップ。
その後再び建設計画が再開。ダム建設資金をアメリカから支援してもらう予定だったが、東側陣営、即ちアメリカと敵対する国家と武器の取引を行っていた事が原因でアメリカから援助を断られる。
「どうしよ、金欲しいのに・・・。せや!スエズ運河は色々な国が使いたい場所だし国有化したろ!」というわけでエジプトはスエズ運河を国有化しようとする。
それに対して、イギリスくんブチ切れ。
イギリス
イギリスはスエズ運河において大きな権益を得ていた。
他国との貿易において重要な航路の一つであり、ここが自由に使えなくなると経済的に重大な損失を被ることになる。となると黙っていられない、というわけだ。
フランス
それではなぜ、フランスはこの戦争に加担したのだろうか?
フランスは、自国の植民地であったアルジェリアの内乱を収める為、裏で支援していたエジプトの大統領を倒すべく戦争に参加する事を決める。
イスラエルは、既に述べたようにアラブ諸国と対立を深めていた。また、更なる領土拡大を狙っていたため、エジプトとも対立していた。
従って、イギリス・フランス・イスラエル三国の利害が一致し、この戦争が始まることになる。イスラエルが攻撃を仕掛け、英仏がそれを支援する体制をとるというものであった。
戦争はイスラエル側が優位であったが、アメリカとソ連が三国を厳しく非難。
国連を通じて、戦争の撤退を命じた。
アメリカ→ハンガリーで起きた、ソ連からの内政干渉に反発するデモ。それを軍事的に封じ込めたソ連。(ハンガリー動乱)
アメリカは、この出来事を、世界にアピールしたかったと言われている。しかし、この戦争が起きている限り、世界の関心はそこに向けられてしまう。
ソ連→エジプトは中東における同盟国であった。従って、劣勢であったエジプトが敗北する事を危惧し、戦争停止を呼びかけた。
いわばこの戦争は、利権争いと冷戦下におけるパワーゲームであった。
イギリスとフランスはこの戦争を機に、国際社会におけるプレゼンスが低下した。
ことイギリスに関しては19世紀において世界1とも言えるほど大きな国力を誇っていた。しかし、二度の世界大戦を経て、アメリカが世界1の座に君臨する事となり、それを象徴するかのような一つの出来事でもあった。
エジプトはスエズ運河の国有化に成功。国際社会からも支持され、英仏と戦い抜いたことからアラブ諸国から賞賛を浴びた。傷は負ったものの、得たものも多かった。
イスラエルは戦争停止を余儀なくされるものの、アラブ諸国に対する軍事力の優位性を確信。領土拡大の機会を諦める事はなかった。
次回の記事では、第三・第四次中東戦争についてまとめてみようと思う。
私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたら嬉しい。
それでは。