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【国際政治 中東vol.3】パレスチナ問題とは?分かりやすくまとめてみた前編

中東における政治情勢を理解する上で、重要となるファクターの一つ。「パレスチナ問題」

今回の記事では、パレスチナという地域について簡単にまとめてみようと思う。

 

1.パレスチナとは

パレスチナは元来、多種多様な国・地域から人が集まり交流する地域であった。

アフリカ大陸とユーラシア大陸を結ぶ場所であり、盛んに商売や貿易が行われていた。

 

世界三大宗教である、ユダヤ教キリスト教イスラム教はこの地で誕生し聖地もここに存在する。

16世紀以降、オスマン帝国パレスチナを統治していた。従ってアラブ人がここに住んでいた。

しかし、そもそも紀元前においてはユダヤが住んでいた。ユダヤ人は度重なる戦争の末、他民族に取って代わられてしまい支配されてしまう。

その後はユダヤ人は定住の国を持たず世界に散り散りになり生きていく事を余儀なくされる。そしていつしかこの地「パレスチナ」に帰る事を誓った。

 

2.鬼畜イギリスくん

年月を経て、ロシアやポーランドから徐々にパレスチナに住み始めるようになる。

アラブ人とも共存していたが、ユダヤ人が増加するにつれて経済的格差が原因で次第に対立感情が芽生えるようになる。(ユダヤ人はビジネスで成功を収めている人が多い。)一方で、ユダヤ人は次々と土地を買い占める。更に、両民族における対立感情が激化していく。

 

また第一次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治下となる。

1922年以降、ユダヤ人はパレスチナに移住を始める。

以前の記事で開設したように、イギリスがユダヤ人の為の国家建設を約束したからだ。

【国際政治 中東vol.1】中東の情勢はなぜ不安定なのか、分かりやすくまとめてみた - 簡単にアレコレまとめるブログ

 

アラブ人、ユダヤ人双方にとってそれぞれ良い条件をイギリスから聞かされていた。

独立がしたかったアラブ人。自分たちの国家が欲しかったユダヤ人。

 

しかしその実態は、「お前ら仲良くそこで共存して暮らせや」という事であった。

イギリスは第一次世界大戦をとにかく有利に進めたかっただけで彼らの為に行ったわけではないからである。うーんこの。

 

3.第二次世界大戦

第二次世界大戦後、イスラエルという国家が建設され、ついにユダヤ人の国家が建設される。

しかしやはり、アラブ人にとっては面白くない。

アメリカは、パレスチナユダヤ人居住区とパレスチナ人(アラブ)居住地区それぞれに分割するように提案した。ユダヤ人側はそれを承認したものの、アラブ人側は認めなかった。

そしてこれが原因で、両者の間に戦争が起きる。

これが第一次中東戦争である。

 

次回の記事では、第一次~第四次に至る中東戦争についてまとめてみようと思う。

私のブログが興味の入り口となり、より詳しい文献で知識を深めてくれたら嬉しい。

それでは。

 

 

 

 

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