いきなりだが、そもそも人は何の為に生きているのだろう?何のために生まれてくるのだろう?
と、問いかけられて、読者の皆様は何と答えるだろうか。
あくまでこれは私の考えであるが、人間の生死に意味はないと思っている。人間の生殖本能というか、子孫を残したいという動物的本能によってヒトは生まれるからだ。そして新たに生まれたヒトはまた、新たに子孫を残すために生きる。そうやって命の連鎖が続いていく。
「子孫を残すために生きる」なんてあまりにも味気ないので、キリスト教や仏教などの宗教が、それぞれの宗教独自の人間の生きる意味を与えてくれている。
さて私は結局のところ、(人生に生きる意味がないと仮定した場合)「やりたい事をやる」人生が、最も幸福度の総量を増やす生き方だと思っている。やりたい事を我慢して、気づいたら年老いて、「若いうちにもっと自由に生きておけば・・・。」と後悔するなんて最悪だろう。
人生をただなんとなく生きていると、自分が本来持っていた欲求を忘れてしまい、世の中に存在する常識や義務、規範意識に流されて生きることになる。しかし、やりたい事を思い浮かべるだけで、たちまち自分自身が自分の人生の主人公であることを思い出させてくれるのだ。ハンドルを握っているのはあなた自身なのである。
欲求を満たすために生きる。至って単純である。
とはいえ現代特有の現象であるが、「やりたい事が分からない。」と途方に暮れる者も少なくない。我々の生き方は自由であり、幅広い選択肢を与えられている。であるが故に、逆に「何をすればいいか分からない。」のである。
本記事では、いくつかのアプローチを通じて、やりたい事が分からない人に向けた「やりたい事」を見つけ方を書いていきたいと思う。
〇やりたい事リストの作成
あなたがやりたい事を片っ端から、紙に書いてみよう。なんでもいい。マジでなんでもいい。「世界一周したい」「47都道府県制覇」「美人/イケメンの恋人を作る。」「料理10種類覚える」などなど。大きな事から、小さなこと。俗っぽいものでもなんでもいい。大切なのは、自分の欲望から目をそらさない事。嘘をつかない事。世間体とか考えずに好きなだけ書こう。
リストを書いた?そうしたら次に、それぞれやりたい事を実現するためのプランや方法を簡単にでいいから書いてみよう。するとどうだろう。自分のやりたい事を叶えるための行動が生まれる。段々と現実味を帯びてくる。「やりたい事」というのは、夢想するだけではもったいない。諦めるのももったいない。少しずつでいいので、それに向かって動いてみよう。そうする事で、「やりたい事が分からない」という無気力状態から脱する事が出来る。
尚、やりたい事を思い浮かべる上で重要なのは、制約を取り払う事。
「〇〇だからできない」をいったん無視する。そうした諦めの姿勢は、自分の欲望にフタをしている状態である。そう、まずはそのフタを外さなくてはならない。
「〇〇だからできない」というのは、現段階において条件が整っていないだけである。現在足りていない条件を満たすための行動を今日から始めればいい。
諦めの姿勢から、どうすればそれが叶うか?という前向きな姿勢にシフトチェンジしよう。
〇なりたい自分・やりたい事を探し続ける
ネットでいくら、やりたいことを見つける方法を探しても答えは出ない。
自分の中にやりたい事はあるはず。だから定期的に自分の内面と向き合って、
・理想の自分とは何か?
・何をしたいか?
→両者共に、具体的な行動もセットで考える
探す必要がある。探し物は自分で探さないと見つからない。やりたい事は、誰かから与えられるものではないのだ。自分の中にある欲望を、掘り起こす作業なのだ。
やりたい事を探す一つの有効な手段は、「様々な事に挑戦し続ける」事だ。自分が観測できない範囲や、自分が未経験の物事で、実はそれが自分にとって凄い興味深いことかもしれない。そもそもやった事のないことに対して、興味を強く持つ事は難しい。だから軽いノリで、食わず嫌いせずに何でもトライしてみる事も重要である。
〇それでもやりたい事なんてねーよ!という人へ
こう考えてみてはどうだろう。「誰かの為に動いてみる」という発想。綺麗事のように聞こえるかもしれないが、これも案外有効である。誰かの為に行動する事で、少なからず感謝されるし、その感謝があなたのやりがいへと変わっていくかもしれない。そこにはポジティブな感情がある。
だからまず、自分にできる事を考えたうえで、誰かの為になる事をするのも良い。
それに没頭していくうちに、あなたにとってのやりたい事になる可能性がある。
〇最後に
あくまで人生の主人公はあなた自身。あなた自身が満足できるような人生を送ることがベスト。その為には、「やりたい事を片っ端からやる」というシンプルな方針を掲げた上で、どうそれを達成していくか?考えながら行動していく事が生きがいを生むのではないだろうか。ぜひ一度立ち止まって考えてみてほしい。
最後まで読んでいただきありがとうございました!