常識との向き合い方
「普通」や、「常識」という言葉は息苦しい。
押しつけがましい。オレには関係ねえだろと。誰かが勝手に決めただけであり、絶対に正しいという保証はあるのか?と問いたくなる。
一体何を以てして、「普通」と認める事が出来るのだろうか?
その根拠とは何なのだろうか。その基準とは何なのだろうか。
と、まぁ厨二病臭い事を言ってしまったが、私は割とマジでそう思っている。
昔から、影響力を持つ色々な人が「常識にとらわれるな!」というメッセージを発しているが、まさしくその通りだと私は思う。
しかし、批判しつつも、ある一定の価値を「常識」には見出している。
常識に関する、入り乱れた感情を整理していく。
〇常識の正体
あくまで私の主観であるが、常識とは即ち、「多数派によって支持されている既存の価値観」である。半ば妄信的に信じられている観念や制度、規則の事である。
その実、それらが絶対的に正しいという論理的根拠を持っていないこともある。
では、そもそも「常識」の定義とは何だろうか。
三省堂の辞書を引用する。
ある社会で、人々の間に広く承認され、当然持っているはずの知識や判断力。」
上の引用における「常識」の定義のミソは、「ある社会」という言葉である。いわば、常識とは、一つのある社会や特定の集団にのみ通用するルールである。従って、その社会以外では、常識が非常識として認識される事も往々にしてある。日本の常識は海外では通用しないし、その逆もまた然り。
〇やや極端な例だが・・・。
常識や価値観、道徳概念といったものも時代によって移り変わる。例えば、20世紀におけるアメリカでは、黒人差別は当然のように行われていたし、それに疑問を持つ人も少数派であった。しかし、21世紀の現代においては、少なくとも表向きでは許されざる行為だと認識されている。ポリティカルコレクトネスが進み、我々人類の意識や観念は間違いなく変容した。
〇郷に入っては郷に従えという言葉
とは言いつつも、常識を守る事は、社会で円滑に生きていく為には欠かせない。ことわざにも「郷に入っては郷に従え」という言葉がある。
あくまで私は、常識というものを絶対視しない。無数に存在する価値観や考えの一つでしかないと考えているからだ。つまり常識とは、普遍的且つ不変的なものではない。
あくまで「価値の移り変わりの最中にある」というイメージだ。これからもそれは社会情勢の変化によってどんどん変化していく。
とはいえ、「常識破壊!」とかのたまうだけでは、自分の属するコミュニティや会社に馴染めなくなる。人は一人では生きていく事が難しい。従って、良い感じのバランス感覚が必要となる。常識を壊しすぎず、コミュニティ内に居る人を納得させながら振舞わなくてはならない。そもそも大半の人間は、常識を疑わない。なんとなく常識を当然のものとして信じている。そうでなければ、世の中で価値観の押しつけは発生しないはずだ。(ではどうすべきか?を後述する)
〇とにかく自分の頭で考えるということ。
常識に染まりすぎる事は、時として自分の本来性を失わせる。自分の欲求よりも、そのコミュニティ内における常識が優先されるからだ。
常識を逸脱しても、やっていける方法は以下の通り。
①結果で黙らせる。才能を見せつける。
アーテイストや芸人、起業家などは「常識外れ」である事が多い。
鶏が先か、卵が先か。という話になるが、常識外れだから成功できたのか、はたまた成功したから常識外れでも許されるのか、どちらなのかは分からない。
だが少なくとも、才能のある者は、多少常識や枠組みから外れていても許容される。
それはなぜか?「お金を生み出すから」である。至ってシンプル。資本主義社会では、資産を持つ人、資産を生み出す人が強い。才能はお金を生む。だから周囲の人間からも認められる。
かなりマッチョイズムな提言になってしまったが、常識に苦しむ人間は、何かしらの才能を磨いたり、とびぬけたスキルを持てばいい。
②相手の気持ちを思いやった言動を心がける。
とはいえ、上の①は、はっきりいってキツイ。私も偉そうな事を書いておいてなんだが、無理。
であるならば、実力があって結果をそこそこ残す事を前提に、「思いやりのある言動」を心がければ良いのではないか。常識とは、「意味のないしきたり」だけとは限らない。「昔からそうだから」「みんながそうだから」そもそも、その常識にも起源が何かしらあるはずだ。そして起源には理由があるはず。そこを突き止める必要がある。
常識とは、ある社会で共有されるルールである。即ち社会集団を円滑に維持するためのエコシステムであるといえる。何か面倒な事をされると、組織がガタガタする。だからそれを食い止めるために、常識というものがある。
であるならば、思考アプローチは以下のようになる。
①盲目的に従っていた常識に意味を見出す。(既存の価値観の整理と取捨選択)
②能動的に常識に向き合う
③常識の裏にある起源やその価値を信じる事が出来ない場合は無視する。
④組織や相手の為になる言動や行動、規則などを、自分自身で考える。(常識の代替として。)
いずれにせよ、自分で選び、自分で考える必要がある。
常識に価値を見出す事が出来たら、それを信じればいい。
そこに意味がないと思うのなら、(自分が用いる)新たな常識の代替案を自分で生み出せばいい。
自分の人生を自分で切り開いていく姿勢がとにかく大切だ。他者の思想に惑わされすぎずに、生きたいものである。
最後に
常識とうまく向き合って、社会で生きていきたいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!