Mizuki Blog

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【マインド論 vol.5】なぜ自分らしく生きない?

人はなぜ生きるのか?人はなぜ努力をするのか?

社会における正しさとは何なのか?時として、こうした疑問が浮かぶことがある。

我々は普段こうした問いが分からぬまま、生きている。

そして、社会が今まで築き上げたシステムや「正しさ」に迎合することを強いられる。

それらのものが我々にとって正しいか、必要かもわからずに。

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1.正しさの不在

事実、このような問いに、絶対的に正しい答えは存在しない。

よって、あらゆる物事に意味を見出せなくなってしまう事が時として起こりうる。今まで、当たり前のようにやってきたことは、全てよく考えると根源的な意味はない。全ての事に意味が感じられなると、最終的に生きる意味すらないと感じてしまうようになる。

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2.生きる意味とは

生きる意味など究極的にはない。あらゆる物事や価値観も絶対的に正しいわけではない。そこを受け入れる事が出来たとしたら、人生は楽しくなる。

「それでも良い」と思い、1回限りの生を愛せるか。

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人生に意味はなく、苦悩が続いたとしても、それすら愛し飲み込んで、自らが欲する価値を自らの手で創造できる人間になれたとしたら。主体性を以て、意味のない世界に意味を見出して楽しんで生きようという気概を持てるようになれたとしたらどうだろう。

3.自分にとっての正解

それこそが本来の人間の生き方なのではないか。

盲目的に、周囲に迎合するのではなく、あくまで自分にとって納得のできる生き方を選び、築いていく事が本来あるべき姿なのだと思う。

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生きる意味が感じられなくなり、それを受け入れた結果、主体的に生きる事の出来るようになれる人間も存在するはずだ。つまり、絶望して大きな苦痛を味わったとしても、耐え忍び消化する事が出来れば、新たな人生の生き方が見えてくる。

4.夢や目標を強制される社会 

将来の夢を小さい頃から、僕らは持たされる。そんなもの聞かれたって全員が全員あるわけじゃない。言わなきゃ親からなんか言われるから、「野球選手」とか「パイロット」とか適当に取り繕ってるだけの子もいるかもしれない。もちろん夢の実現の為に努力する事は美しいことでもある。その過程で人間は成長するだろう。しかし必ずそれを持つ必要はない。

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再三言う事になるが、自分が満足する事が最重要事項であって、その為に努力するのではないだろうか。順番が逆になってしまっては意味がない。

5.比較と競争

なぜ我々は、何かを目指して努力しなければならないのか。世間一般が持つ価値観や思考とは、社会を円滑に生きる上で必要である一方、厄介なものでもある。そして、学校や会社など人間はどこまでいっても比べ続けられてしまう。

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思うに、幸福を相対的なものとして享受し続ける限り、精神的に満たされる事は難しいだろうと思う。他者と比べ続ける限り、上はどこまでいっても存在し続けるし、そもそも隣の芝生は青く見えるものだ。

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そして世間一般の、ものさしや価値基準に当てはめるのもあまりよくない。なぜならそれが絶対的に正しいとは限らないからだ。人類で共有される思想は常に変遷の歴史を辿っている。また、正誤の逆転も往々にして良くあることだ。例えば、昭和における終身雇用への信奉は典型例の1つといえる。

6.正誤の逆転

一つの会社で勤め上げる事こそ正義だった時代がある。しかし経済状況や社会システムの変化により、その価値観は廃れてしまった。従って、世間一般が信じている事も、自分自身が正しく思えないのであれば、それは信ずるに値しない。

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つまり、盲目的に受け入れてた価値観は決して正しいわけではない。そのようなものに迎合するのは、甚だおかしいというわけだ。

この世の価値観のほとんどは、「真理」ではない。この世に存在する価値観は、有史以来人間が築き上げてきたものでしかない。そしてそれは時代や社会の変遷に応じて変わる。

しかし、どういうわけか、既存の価値観をそのまま鵜呑みにしてしまう人が多いような気がする。多数の人間がそれを支持しているからといって、あなたにとってそれが本当に必要かどうかは分からない。

7.自分らしさの必然性

あらゆる事象の価値が無意味であるならば、人間は自分の欲するままに生きていくのが良いのではないか。そうせざるを得ないと言っていいだろう。

自分の欲望や感情を抑圧していると、自らが欲する事を段々しなくなる。反対に、自分の欲求が満たされていれば、生を肯定できるであろう。換言すれば、欲を満たすために生きること自体が本来の生なのではないか。

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自分本来の姿を押し殺し、真理でもなく人間によって捏造された価値観や常識に従って生きることは本来の生き方ではなく、嘘を盲信しているだけなのだ。

8.現代日本という牢獄

現代の日本において、自分の欲望に従って生きるということにはある程度の制約がある。なぜなら現代の日本社会には規律が多いからだ。そして多くの日本人の間でそれが共有され、また半ば強要される。規律や規則から外れる者は社会からはじき出されてしまうのだ。人間は社会的な生き物であるから、社会の一員としてあり続けるために、結果として本来の欲望や感情を押し殺し、集団の意思に従って行動せざるを得ない。

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人間らしく生きることが失われつつあり、それがニヒリズムの大きな要因の一つとなっている。この世に存在する価値観は、今までの人間が築き上げてきたものでしかなく、それがあなたにとって必要かどうかは限らない。

9.人間は同じ世界に生きて、違う世界を見ている

人間の思考や認識は様々な要素によって影響を受ける。つまりバイアスがかかるというわけだ。

例えば、ある事象Aが存在する。観測者A.B.Cはそれぞれ異なる解釈をする。というのも、人間は無意識のうちにそれぞれ抱えている事情、バックグラウンド、信条や思い込み、希望的観測など様々な要素を以てして判断するからだ。そして時には彼らの都合の良いようにねじ曲がった状態で解釈する事もある。

人間は同じ世界に生き、それぞれ違った世界を見ている。

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従って、人間が観測している世界は、各個人の思考やそれを形成するに至った諸要素が映し出した鏡とも言える。

10.最後に

自分が自分らしく生きるとか、常識に縛られるな、といったメッセージは革新的なものとかではなく、至極当然の事なのだ。

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常識や既存の価値観、枠組みに従うことは非常に馬鹿馬鹿しい。絶対的に正しいという保証もなく、常に移り変わっていくものだからだ。

自分らしく生きるほかないし、それが本来の人間のあるべき姿ではないだろうか。

 

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