【雑記】死を自覚して、人生を変えろ。

この世に、何気なく日々を過ごしている人間は少なくないはずだ。

特に日本は平和な国なのでなおさらだ。食べ物に困る事もなく、人に殺されるようなリスクも他国と比較すれば非常に低い。生命が保証されている為、「生きているという事も実感できていないのだ。

 

学生であれば、勉強もそこそこにスマホやゲームに興じ、友人や恋人と遊んで過ごす。

もちろんこれは悪い事ではない。だけどそれらの行いは極めて刹那的である。

将来の事や、自分のやりたい事などについて考えず、その日暮らしで楽しいことをしてなんとなく過ごす。

 

偉そうに書いたが、僕もその中の1人だ。毎日を精一杯生きているかと問われたら首を縦には触れないだろう。バイトを適当にこなし、勉強も一応するが短時間だけやって後はネットサーフィンばかりしている。そして寝る前に「一日を無駄にした」と後悔するのだ。

 

なぜこのような事が起きてしまうのか。

 

それは、「人生が延々と続くもの」だと解釈しているからだ。言い換えれば、「死を自覚していないから。」である。

 

人の命は有限だ。死は誰にでもやってくるし、それがいつ来るかも分からない。

 

なぜ僕がこのような記事を書いているかというと、大好きだったおじいちゃんが死んだから。すごい悲しく感じたし、それと共に「死の存在」を身を持って実感した。当然の事だが、周囲にいる人間が永遠に存在してくれることなどなく、もちろん自分だっていつ死ぬか分からない。

 

「死」は恐怖的存在であるが、それについて考える事は、一種のカンフル剤にもなりうる。

 

20世紀最大の哲学者の一人、マルティン・ハイデガーはこう言った。

「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない。」

 

つまり、死という「終わり」を意識するからこそ、生きている「現在」を意識する事ができ、死に向かって精一杯生きる事が出来るという事だ。

 

例えば余命数か月を宣告された人間ならば、残された時間を精一杯楽しむはずだろう。

これこそが本来の、人間らしい生き方ではないか。

 

ハイデガーが唱えた、「死を自覚する事」とは自分自身が死にそうな立場に置かれる事であるが、私は身近な人間に死を以てしてそれについて考えるきっかけを得た。

 

同じく哲学者である、カール・ヤスパースは「あと1週間しか命がないように生活しなければいけないし、その1週間ですべきことなら生涯かけてもしなければならない。」

と述べた。

 

僕が余命1週間と宣告されたらまずは家族や親戚、友達に感謝を伝え、残された時間ギリギリまで過ごしたいと思った。だから僕は周りの人間を大切にする事に決めたし、母親に今度食事を振る舞う予定だ。

 

この考えは、おじいちゃんが逝ってしまった悲しみから生まれたものだ。おじいちゃんともっと会っておけばよかった、おじいちゃんが喜ぶようなことをしてあげればよかったとひどく後悔したのだ。

だけどどんなに僕が悲しんだ所でおじいちゃんにはもう会えない。だからこれからは周りの人間を大切にしようと感じたのだ。

 

自分の死を自覚するとともに、自分のやりたい事を再確認するに至ったわけである。

スマホをダラダラといじっている時間も決して無駄ではないと感じている。しかしその時間を極限まで減らし、僕のやりたい事、やるべき事に注力せねばならない。

 

散々色々な場で言われてきた言葉ではあるが、人生は一度きりなのだ。

だから、自分のやりたい事を片っ端から毎日やっていくしかない。それに、いまこの瞬間にも僕たちは死へと向かっている。残り時間がどんどんと減っているのだ。

 

さあどうだろう。あなたはその事を意識して人生を生きているだろうか。無駄にすごしていないだろうか。自分を押し殺して辛い日々を過ごしていないだろうか。

 

もしそうだとしたら悲しい。あなたの人生は一度しかない貴重なものなのだ。どうせなら楽しい人生を過ごした方が良いに決まっている。僕達一人一人が主人公であり、主役だ。そのことを忘れてはならない。そう思わないかい?

 

とにかく、

周りの目を気にするな!やりたい事をやれ!言いたい事を言え!周りの人間を大事にしろ!好きな異性には今すぐに声をかけろ!楽しく生きろ!

 

僕もこの一瞬から頑張る。うおおおおおお!やってやるぜー!!

 

読んでいただきありがとうございました。