【歴史】各国の歴史を超簡単に書いてみた編 ロシア
各国の歴史を超簡単に書いてみたシリーズ、今回はロシア編です。
※随時、「詳しく解説してみた」記事も追記していきます。
- 1 超簡単に書いてみた
- 2 ロシアの始まり、モンゴルの征服(882~1240年・1240~1480年)
- 3 モンゴルからの独立 モスクワ大公国(1480~1613年)
- 4 王朝成立からロシア革命まで(1613~1917年)
- 〇1904~1905年、日露戦争勃発。
- 5 革命発生、ソビエト誕生(1917~1922)
1 超簡単に書いてみた
この章では、フロー形式で、ロシアの歴史についてまとめてみました。
極力シンプルに書いていますので、もう少し詳しく知りたい方は、第二章以降を読み進めてください。
ノブゴロド国、キエフ公国が誕生する。
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モンゴルに長い間支配される
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海外と貿易するため、凍らない港・植民地が欲しい。南下する
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これが原因でイギリス・フランス・オスマン帝国などと対立
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日本と戦争し敗北。これがきっかけで国は疲弊し、革命起きるが鎮圧
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ドイツに喧嘩売られ、第二次世界大戦へ参戦し、勝利
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戦後、アメリカと世界の覇権を争う
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ロシア連邦誕生。グルジアやクリミア半島併合などプーチンは戦争をまだ続けてる
2 ロシアの始まり、モンゴルの征服(882~1240年・1240~1480年)
では次に、第二章からは、もう少しだけ詳しく説明してみます。
なお、ガチの歴史解説ではなく、全体像を掴んでもらうことを目的としていますので、より詳しく学びたい方は、こちらの参考書をおススメします!
それでは解説していきます!
ロシアの歴史は、ノルマン人(リューリク)がノヴゴロド国を建てたところから始まります。
その後、その一族が南へ移動しキエフ公国を建てました。
ですが、モンゴルに征服され、併合されてしまいます。
これを「タタールのくびき」といいます。
キプチャク・ハン国へは、貢納をしなくてはなりません。
その貢納を取りまとめていたのが、モスクワ公国です。
モスクワ公国は、今のロシアやウクライナがあった地域である「ルーシ」に複数存在する地方政権の中でも、有力な存在だったんです。
日本でもそうですが、この時代の歴史を理解するには、ひとまとまりの国家とし手認識するのではなく、複数ある地方政権のうち、どこがデカい組織なの?という視点です。
なんせ国家という概念ができるのは、17世紀あたりからですからね。(ウェストファリア条約によって主権国家という概念が確立されたのではないでしょうか。)
3 モンゴルからの独立 モスクワ大公国(1480~1613年)
イヴァン3世の時代に、モスクワ大公国は、モンゴルから独立。
イヴァン4世の時代、モスクワ大公国は、「ロシア・ツァーリ国」になります。
また、モスクワ周辺のみの支配から徐々に支配地域を広げていった時代でもあります。
モスクワ周辺のみならず、東部への開拓も始めます。
毛布を輸出し、貿易で稼ぐためです。
この時代から、シベリア遠征を開始することになります。
ロシア・ツァーリ国はイヴァン4世の時代に近代化とシベリア進出を推し進め、北の大国へと飛躍を遂げました。
ですが、イヴァン4世が死去すると、動乱の時代が訪れます。
イヴァン4世の次男であるヒョードルがツァーリの座を引き継ぎますが、国内の混乱は依然として続いたまま。
ヒョードルが死去して以降は、それまで続いていたリューリク朝が断絶してしまいます。
ロシア国内の動乱につけこんで、「ポーランド・リトアニア共和国」の貴族たちまでもが攻め込んできました。
いよいよモスクワにまで攻め込んでくる事態にまで発展してしまいます。
ロシア国内の皇帝派の貴族が義勇軍を結成し、なんとか彼らを追い返します。
義勇軍は無事にモスクワを解放することに成功。
そして新たな王朝が誕生するのでした。
4 王朝成立からロシア革命まで(1613~1917年)
リューリク朝断絶後の混乱期を経て、ロマノフ家がツァーリに即位しロマノフ朝が始まりました。
ピョートル1世の時代、西洋の発展を知り、ロシアは徐々に西洋化していきます。
この頃から、海への出口を争い周辺国と争うようになっていきます。
ロシアって今も昔も、不凍港が欲しいんです。
やっぱりロシアって東側は寒いですし、ヨーロッパ側の温暖な気候の地域がすごい大切なんですよ。
ロシアが大国化するきっかけとなる戦争が、1700年から1721年にかけて起きました。
17世紀、スウェーデンは三十年戦争に介入し、バルト海の沿岸を全て支配していました。
そのことがロシアからしたら気に食わないんです。
地図を見てもらえれば分かると思いますが、「バルト海」は、ロシアに面しています。
しかも東側と違って、こちらは凍るような寒さではありません。
ロシアは「バルト海」を拠点として、船を出したいんです。
輸出や輸入がしたいんです。
でも17世紀は、スウェーデンが支配していた。
更にこれ以上、支配地域を拡大されたらどうでしょう。
ロシアからしたらすごい恐怖です。
また、ポーランドやデンマークもスウェーデンにビビっていて、利害が一致したことから、ロシアは密かに同盟を結んでいます。
北方戦争の結果は、ロシアの勝利に終わります。
これをきっかけにロシアは大国化のきっかけをつかみます。
またこの時代には、ロシアはアラスカに探検家を派遣し、アラスカをロシア領としていました。
(ご存じの通り、その後アメリカに売却することになるのですが…。)
エカチェリーナ2世の時代には、クリム=ハン国の併合・ポーランドの分割などを推し進めます。
また、この時代には、中国(清)やモンゴルとの国境も制定されています。
ロシア周辺国の様子はといえば、19世紀に入り、ヨーロッパでは革命が次々と起こり始めていました。
ロシア帝国はそれが自分の国で起きる事を恐れていました。
ロシアは多民族国家です。国土もバカ広い。
民主化したら、それぞれの民族が独立を要求して国がバラバラになってしまいます。
なので多少強引にでも、国民をコントロールし、国がバラけてしまうのを防ぎたいんです。
これは現在の中国にも当てはまることですね。
ニコライ1世の時代に革命が起きるも、鎮圧。
ロシアの併合国だったポーランドでも反乱が起き、鎮圧。
19世紀にはいっても、海への出口を巡り、周辺国と度々戦争をしています。
その頃のロシアは、南へ進出しボスフォラス海峡を支配したいと思っていました。
しかし当時その海峡はオスマン帝国が支配していた。
だからロシアはオスマン帝国に戦争で勝ちたかったんです。
そしてその結果、バルカン半島・オスマン帝国・地中海周辺で、ロシア・イギリス・フランス・オーストリアの利害が一致し度々戦争が起こっています。(東方問題)
ロシア→バルカン半島でオスマン帝国に支配されている民族の独立支援。凍らない港を求めて南下
オーストリア→多民族国家なので、ロシアが民族の独立支援をすると自分の国まで影響受ける事を恐れた
イギリス・フランス→地中海へ出て、エジプトを経由し、インドへの貿易ルートを守りたい
※東方問題については長くなるので後日追記
ロシアは南下を目指し度々参戦するが、イギリス・フランスに妨害されてしまいます。
アレクサンドル2世の時代、農奴解放令が発布されることになります。
ロシアの村(共同体)に有料で土地を与え、お金が払えない農民は都市で仕事を探すようになります。
その結果、工業化や商業化が進むようになりました。
イギリスの産業革命が、都市労働者に支えられたのと同じように、ロシアも産業革命を目指すため、農奴制を廃止したという背景があったんです。
ロシアはイギリスなどの圧力もあってか、しばらくの間、バルカン半島、地中海・黒海への南下を諦めざるを得なくなった時代でもあります。
ロシアは大国ではありましたが、イギリスと比較した場合、パワーバランスが劣っていたからです。
〇1904~1905年、日露戦争勃発。
ヨーロッパ方面ではなく、アジア側での南下政策も、ロシアは推し進めています。
満州(中国)を占拠し、朝鮮半島にも、ロシアは拡大を試みていました。
日本からすれば、脅威です。
朝鮮半島の次は、俺たちが狙われると。
という一面もありましたし、日本の朝鮮半島における権益が脅かされてしまうという実情もありました。
日露戦争の最中には、ロシア国内で革命が起き、国内が大混乱。
それがきっかけで日露戦争は終わり、日本側がなんとか勝利を収めました。
イギリスのバックアップがあったり、アメリカが間に入ったおかげで、日本が優勢という判定勝ちで終わったという感じですかね。
この敗北をきっかけに国は疲弊し、1917年のロシア革命につながっていきます。
そしてあのソビエト連邦が誕生します…。
5 革命発生、ソビエト誕生(1917~1922)
ロシア国内は荒れていました。
日露戦争への参戦により食糧難に陥り、労働者のストライキ、暴動発生、第1革命が発生などなど…。
資本家を味方につけるために、他の西洋諸国と同じように議会を開設します。
議会開設後、立憲民主党が誕生。
二度と革命が起きないように、農民の土地所有権を認めるなど、改革を進めていきます。
これでロシア帝国は落ち着いた・・・はずでした。
しかし数年後、ロシアは第一次世界大戦に参戦。
再び食糧危機に陥り、暴動が発生します。
1917年、立憲民主党が臨時政府を樹立。
また、この時にニコライ2世は追い出されてしまい、ロマノフ朝の時代が終わってしまいます。(3月革命)
戦争もこれで終わりかと思いきや、フランスから圧力がかかり継続せざるを得ませんでした。
庶民はソヴィエトを結成。臨時政府と対立するも、民衆の支持を得たポリシェヴィキが実験を握り、臨時政府首相は亡命。(11月革命)
ロマノフ朝が終わり、ソ連が誕生するまでのロシアの歴史はかなり複雑です。
その後選挙を行うも、ポリシェヴィキは第二党。
それに不満を持ったポリシェヴィキのレーニンは軍事力を行使し、第一党の社会革命党を解散させてしまいます。
ポリシェヴィキは共産党に改名、そこから共産党の時代が始まる。
1922年、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの4か国でソビエト連邦が結成されます。
奇しくもオスマン帝国という東西にまたがる大国が終わりを告げた年でもありました。
6 ソビエト誕生、世界のトップの国へ、そして崩壊(1922~1991)
レーニンの死後、派閥争いが発生。
トロツキー→ロシアはまだ後進国。イギリス・フランスからの支援を得よう
スターリン→国内建設が優先
スターリンと言えば、冷血な独裁者。
イエスマンを周辺に置き、自分の権力を確固たるものとします。
スターリンは国内建設を推し進め、国力を増強させた一方で、自分の気に食わない人物を処刑、数百万あるいは数千万の人間をシベリア送りにしたんです。
その後、時は進み、ソ連は第二次世界大戦に参戦し、ドイツ相手に勝利する。
ドイツには、勝ったものの、莫大な犠牲者を出した、甚大な戦争となりました。
第二次世界大戦後、世界は、アメリカを中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした社会主義陣営に2分され、両者が陣取りゲームを始めます。
アメリカは、ソ連の社会主義が広げるのを食い止めたいですし、ソ連は社会主義を広め、自分の支配下にしたいという思惑がありました。
ソ連は社会主義国としての体制を貫いていましたが。ゴルバチョフの登場によりソ連で民主化が進んでいきます。
その後1989年ポーランドで自由選挙が行われ、これをきっかけとして東ヨーロッパ革命が次々と発生。
ゴルバチョフは、東欧諸国の政府に介入しないと宣言し、それを機に続々と自由選挙が起こりました。
その後、エリツィンの登場により市場経済へ移行。ソ連も解体されることとなります。
7 ロシアの現在(1992~現在)
エネルギー産業を国有化し、ロシアの権力の座に現在はプーチンが君臨している。
8 最後に
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「大学入学共通テスト 世界史Bの点数が面白いほどとれる本」
☆この参考書の優れている点
・いわゆるお堅い参考書と異なり、会話形式で説明されているから読みやすい。
・入試に頻出なポイントがしっかりと強調されており、効率的に世界史を勉強することができる。
・世界史Bを受験する人の1冊目の参考書として最適である。
・受験生でなくとも、歴史の教養を身につけたい人すべてにおすすめ。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。